議員報酬の大幅アップに反対する住民らが引き下げを求め、条例制定の直接請求に乗り出した。署名集めは市内全域に広がり、有権者数の3分の1を上回った。この勢いに恐れをなしたのか、議会側は2007年9月、議員報酬を元に戻す条例改正を自ら行った。

 議会側に勝利した住民グループは、市政改革の必要性と実現可能性を改めて痛感し、新たな活動を始めた。それは、2010年のかすみがうら市長選挙を視野に入れたものだった。グループの事務局長を務めていた宮嶋光昭氏(旧・出島村の元村長。旧・出島村は1997年に町制施行し、旧・霞ヶ浦町となる)を市長候補として擁立し、行財政改革を争点に現職との一騎打ちに挑んだのである。

 市内の各種団体や組織、政党はこぞって現職の坪井氏を支援し、当時20人いた市議のうち17人の議員も坪井陣営についた。このため、地元メディアなども「選挙は事実上、現職への信任投票みたいなものでは」といった見方をしていた。

 投開票日を迎えたが、宮嶋陣営の選挙事務所に記者の姿はなかった。ところが、開票が始まってしばらくすると、あたふたと駆け付ける記者が相次いだ。下馬評を覆す大番狂わせとなったのである。宮嶋氏が276票差で現職を退けたのだ。

 現職陣営が油断し、「使うべきものを使わなかったから敗れてしまった」との説がまことしやかに語られた。勝者と敗者は、その4年後に行われた今回と全く逆であった。

住民グループのリーダーが市長就任も
前市長派議員らとの対立がエスカレート

 宮嶋氏はこうした経緯を経て、3代目のかすみがうら市長となった。その生い立ちは、これまでの首長とは全く異質なものだった。宮嶋氏は就任当初から選挙公約に掲げた行財政改革の実現に向け、精力的に動いた。市長給与半減案や市職員給与引き下げ案、さらには中3以下の医療費無料拡充案などを議会に提出した。

 しかし、議会は前市長陣営についた議員が圧倒的多数を占めていた。可決されたのは市長給与の半減議案のみで、他の議案はことごとく否決された。議会との対立は次第にエスカレートし、議案を提出しては否決され、また提出して否決ということを繰り返した。

 歩み寄りの姿勢は双方ともに示さず、むしろ対立が先鋭化するばかりだった。議会内の色分けもより鮮明になった。2011年の市議選から議員定数16となったが、宮嶋市長派3人に対して反宮嶋市長派は12人。残り1議員が是々非々派である。