入絵は本田より2歳年下で、オーディションが進んでいた1990年11月から91年1月は玉川大学演劇学科の4年生だった。福岡市の出身で、高校まで博多で過ごす。中学生のころからアイドル歌手を夢見てオーディションをたくさん受けていたのだそうだ。

 玉川大学進学のため上京、本格的に演劇の勉強を始めた。文学座附属演劇研究所本科にも1年間通ったのだそうだ。在学中に都内の芸能事務所に所属し、テレビドラマや演劇に少し出演できたが、鳴かず飛ばず。

「ミス・サイゴン」のオーディションは最後のチャンスだった。大学を卒業したら帰ってこいと両親に言われていた。崖っぷちに追い詰められていた。

「ミス・サイゴン」入絵加奈子のオーディション

 このオーディションについては連載第4回で本田美奈子の側から詳しく書いたが、崖っぷちに爪先で立っていた入絵加奈子から振り返るとこうなる。

 本田と同様、テープと書類審査通過後に合計7回の実技試験で呼び出された。1回から4回までキャスティング・ディレクターのヴィンセント・リフ、演出補のミッチェル・レムスキーらロンドン版とブロードウェイ版のスタッフ、そして東宝の担当プロデューサー古川清らがいろいろな歌を歌わせてチェックする。

 入絵は5回目がダンスのテストだと勘違いし、激しい準備運動をこなしてから行くと、実際は歌のテストだった。6回目がダンスの実技だったが、前日の準備運動がたたって歩けないほどの筋肉痛に襲われる。なんとか耐えて乗り切り、最後の7回目の実技試験にのぞむことになった。オーディションは一人ずつ、絶対に受験者同士が顔を合わせないように時間をずらして行なわれる。自分がどの位置にあるかはまったくわからない。

 7回目のテストは、帝国劇場の舞台でキム役の代表的なナンバー「命をあげよう」と、相手役クリスとのデュエット「サン・アンド・ムーン」を歌うことになっている。客席に並ぶ顔ぶれは増えていた。プロデューサーのキャメロン・マッキントッシュ、作曲家クロード=ミシェル・シェーンベルクもいた。

 古川清はこう教えてくれた。

「歌やダンスがいちばんうまければ採用かといえば、そうではありません。どんなにうまくても、役に合っていなければダメなのです。まずキャラクターです。次に舞台のセンス、つまり芝居心があるかどうか。そういう意味ではストレート・プレイ(演劇)の経験は大きいでしょうね」(古川清、連載第4回より)。

 歌は当然のことながら、演劇の訓練を重ね、ちょっとしたチャンスにも挑戦を続けていた入絵の努力は実ったのである。合格した。