「挙党体制」構築に苦心惨憺の民主党に
「壊し屋」江田憲司が接近してきた

 民主党が政権担当の3年3ヵ月で国民の信頼を失った最大の要因は、元自民党から元社会党まで集まった「寄り合い所帯」で、政策志向がバラバラであったことだ。政権を奪取するまではそれでもよかった。野党の政策をすべて飲み込んでしまう巨大な包括政党・自民党を相手にするには、政策の違いに拘らず数を集めて「反自民」として対抗する戦略を取らざるを得なかったからだ。

 しかし、政権を担当した後も、憲法、安全保障、財政・税制など基本政策を巡って、党内が分裂して足を引っ張り合うような醜態を晒し続けた。そして、国民から徹底的に不信感を持たれてしまった。

 野党に転落してからも、「寄り合い所帯」は続いた。海江田万里代表は、旧社会党出身の横路孝弘前衆院議長や輿石東参院副議長をはじめとする「リベラル勢力」に支えられ、野田政権を支えてきた「保守派」勢力とは距離を置いてきた。政策的にも、海江田代表は消費増税に反対して離党した小沢氏に近く、「税と社会保障一体改革」の三党合意を主導した消費増税積極派・野田前首相と相容れない。

 安全保障政策の分裂は更に深刻である。集団的自衛権行使容認問題では、海江田執行部が、行使容認には憲法解釈の変更ではなく、あくまでも憲法改正を通じて行使すべきだとの筋論を通しているのに対し、保守派の前原誠司、玄葉光一郎両元外相、長島昭久元防衛副大臣らは行使容認を主張していた。

 海江田代表は、9月に党役員人事を行った。民主党政権で要職を務めた、枝野幸男元官房長官を党幹事長に、岡田克也前副総理を党代表代行に、福山哲郎元官房副長官が党政調会長に、古川元久元経済財政相を党税調会長に、安住淳元財務相を国会対策副委員長に、それぞれ起用した。一方で、高木義明元文科相を党代表代行に、川端達夫元文科相を国会対策委員長に、大畠章宏元幹事長を常任幹事会議長に起用することで、リベラル派にも配慮した。

 海江田代表は、「挙党体制」を構築しようとしたのだ。それも、保守派とリベラル派のバランスを考えるという、単純なものではない。

 例えば、岡田氏や枝野氏の要職起用によって、厳しい執行部批判を繰り返していた前原誠司元代表や玄葉光一郎前外相らをなんとか取り込もうとするなど、挙党体制をなんとか築くためにいろいろと考え抜えて、工夫した跡が見られた。海江田代表は、党人事を発表した両院議員総会で「全員が一丸となって、自民党の政治に正々堂々と対峙をする姿勢を固めなければいけない」と強い調子で訴えた。

 だが、民主党の「挙党体制」演出に苦心惨憺の海江田代表に、「壊し屋」江田氏が接近してきた。両者は、政策協議を進めることで一致したが、焦点は「壊し屋」江田氏によって、民主党内が動揺し、分裂する可能性があるかということだ。