総司令官アイゼンハワーの指揮下で米軍中心に部隊が編成され、上陸戦が行われた。アイゼンハワーは、アンリ・ジロー将軍を活用してヴィシー・フランス軍に働きかけたが効果が全く無く一部で戦闘が起きた。

 そこで、ちょうど上陸地点の一つであるアルジェにいたフランス海軍総司令官フランソワ・ダルラン大将に働きかけ休戦に持ち込んだ。3地点での上陸作戦は成功し、ロンメルを司令官とする枢機軍の反撃を受けながらも、1943年5月に連合軍が勝利した。

 2度目の上陸戦は同年7月のシチリア島が舞台となった「ハスキー作戦」である。この時も最高司令官を務めたアイゼンハワーは、アルジェに最高司令部を設置して半年ほどかけて作戦を練っている。陸軍、空軍、海軍の指揮を執ったのはいずれもイギリス人、盟友パットンは陸軍のアレクサンダー大将の指揮下に、モントゴメリーと共に配置された。

 シチリア島へ上陸することを想定していなかった枢軸軍の裏をかく形となった上、行き詰ったモントゴメリーに対し競争心を抱いていたパットンの快進撃もあり、1943年8月に連合軍がメッシーナに入城。これを機に、シチリアを失ったイタリアでは国家統領と元帥を兼ねていたムッソリーニが失脚する。その間隙を埋めるように、ドイツ軍がイタリアを事実上占領し、連合軍と対峙した。同年9月、イタリア本土に上陸、サレルノに進む。当初は苦戦するも、英軍の戦力投与もあって拠点を確保し、連合軍が勝利した。

 こうして、ディエップでの手痛い失敗と、トーチ作戦、ハスキー作戦という2度の上陸経験を積み重ねていくことで、連合軍の協同がこなれていったのである。

ノルマンディー上陸戦のイノベーション

 ディエップの教訓に学び、連合軍はさまざまな革新を行っていく。戦車が砂浜で動けなくなってしまった経験から、英陸軍は特殊戦車の開発を進めていった。ホバート少将の手による通称「ホバートの珍妙な戦車」がそれである。

 米軍はあまり評価しなかったが、海上ではキャンパスで車体を覆い、スクリューで進む水陸両用戦車、装甲車両用の通路を海岸部で確保するためキャンパスマットを敷いていくボビン戦車、地雷を回転する殻竿で叩いて爆破するクラブ戦車など、文字通り珍妙な戦車を開発、上陸戦に投与している。

 上陸後の補給という点では、ノルマンディー海岸には大型船舶を接岸できるだけの規模の港がない。そこで、英国内で製造した人工港湾「マルベリー」を海岸まで運び、そこに設営しようという前代未聞の計画が実行されている。英米用に2つ造られた。米国側のそれは嵐で1ヵ月と経たずに流されてしまったが、英国側のそれは戦車の揚陸などで威力を発揮している。

 こうした発明では英国側の活躍が目立つ。上陸地点を悟られないように偽装するという欺瞞作戦も行われた。ノルマンディーへの上陸は陽動作戦であり、英国からの距離が最も短いドーバー海峡付近からパ=ド=カレーへ上陸すると最後までドイツ軍に信じ込ませたことも、奇襲が効果的な水陸両用作戦の成功に大きく寄与したと言える。