財政破綻の事実が明らかになる前に剛腕村長が突然辞職し、村は大騒ぎとなった。2000年2月に村長選挙が実施された。結果は、前村長の後援会青年部長だった小林日出夫氏の当選となった。相手候補とわずか24票差という、まれに見る大激戦だった。

 村内で建築業を営む小林氏は、行政経験はもちろん議員経験もゼロ。泉崎村の財政破綻の詳細について、知る由もなかったのである。後援会幹部として後継候補の擁立に奔走したが、村の財政破綻の事実を知る役場幹部は逃げまわり、やむなく自らが出馬せざるを得なくなったのである。

財政再建団体ではなく自主再建の道へ
村長自ら銀座に行脚し分譲地を販売

財政破綻の要因となった村の宅地・工場用地開発。必死のセ―ルスでやっと借金完済

 村長に就任した小林さんは村の財政状況の説明を聞き、仰天した。初めて耳にした財政破綻の事実に言葉を失った。

 財政破綻の事実を知った新村長は、直ちに村民にその事実を公表した。地区ごとに住民説明会を開催し、村の窮状を村民に知らせて協力を求めたのである。そして、議会で議論を重ねた末に、国の管理下に入る財政再建団体ではなく、村債の発行ができなくなる自主再建の道をあえて選ぶことにした。

 財政再建団体になれば、行政サービスは否応なく最低水準に落ちる。そうなれば工業用地や住宅用地も売れなくなり、村民の負担が増えることになる。苦しくても自主再建の道を選び、粘り強く土地を売っていった方が良策だと判断したのである。

 小林村長は福島県庁に日参し、県の財政支援を取り付けた。県から低利の融資を受け、負債の大部分を占めた農協の高利の貸し付けの返済に充てたのである。村は2000年度に「自主的財政再建計画」を策定し、人件費や各種補助金のカットといった歳出削減に乗り出した。借金ができないので単独事業は原則として行わず、ちょっとした道路の補修などは役場職員が対応することにした。

 また、分譲地の販売促進による歳入確保にも全力をあげた。住宅用分譲地の販売価格を下げ、すでに買っていた人にはその差額を返金した。また、村の分譲地を購入して住宅を新築した人を対象とした「ゆったり通勤奨励金」を新設した。分譲地から村外に電車通勤する場合、300万円を限度に補助金を交付する大胆な策だった。

 泉崎村は、宣伝活動にも必死に取り組んだ。小林村長を先頭に、議員や職員、住民が東京の銀座で分譲地の宣伝ビラを配って歩いた。大型バスで村を案内する「現地無料招待会」などを開き、参加者に村長自らがそばを打ってもてなしたりもした。