アイデアマンだった小林村長は、2007年に泉崎村から約200キロ離れた東京銀座まで歩く「財政再建行脚」を行った。分譲地のPRを狙ってのことだ。翌2008年も2回目を実施し、12月27日に泉崎村の自宅を出発して大晦日に銀座にゴールした。

 こうした村あげての販売活動が評判を呼び、分譲地が売れ出した。負債の山は少しずつ小さくなっていった。

 ところが、泉崎村は思いもしなかった悲劇に見舞われる。2009年9月、必死に財政再建に取り組んでいた小林村長が急死したのである。

効率的な仕事のやり方を村職員に習得させたい
粘りに粘って下條村に職員研修を頼み込む

 リーダーを突然、失うことになった村は再び大騒ぎとなった。急遽、村長選が行われることになり、2009年11月に久保木広大氏が新村長に就任した。冒頭で紹介したやり取りは、そのわずか3ヵ月後のことだった。

「以前から役場のスリム化が急務と考えていましたが、職員数を削る話ですので、どうしても職員に抵抗感や負担感があります。下條村は考えられないような数の職員で、実際に仕事をしっかりこなしています。どうやって仕事をこなしているのか、生で実態を見させてもらい、うちの職員に学ばせたいと考えていました」

 こう語るのは、泉崎村の久保木村長。議長時代に下條村を視察し、その取り組みに共鳴したという。泉崎村もそうした取り組みを進めるべきだと、かねてから考えていたという。行動力と粘りを発揮し、下條村から受け入れ承諾を引き出したのである。

 久保木村長は、派遣する職員を40代の課長補佐クラスから自ら選び出し、業務命令で半年間ずつ、送り込んだ。その第一号となる職員が2010年4月、下條村役場に単身でやってきた。

「最初はものすごく緊張しました。役場の廊下を歩いているときも体がふわふわしている感じがしました」

 こう振り返るのは、下條村への研修職員第一号となった泉崎村の星雅之さん。星さんは、少ない人数で仕事をしっかりこなす下條村役場の組織体制や配置、仕事の仕方などに着目した。星さんにとって、下條村での日々は新鮮な驚きの連続だった。