前回、中国における、一党独裁、情報の独占、貧富の格差拡大についてお話いたしましたが、もう1つのトレンドとして、中国社会の刹那主義的な雰囲気から和偕社会(調和のとれた社会)への流れについても認識しておく必要があると思います。
中国に限らず、いつの時代、どんな国でも、刹那主義的な考えを持つ人はいるものだと思います。中国の場合は、社会主義計画系経済下の貧困のなかから、改革開放により一気に豊かになってゆく過程で、そのような傾向が顕著にみられ、また現在も見られるのだと思います。もし、豊かになる過程で、社会が健全で透明度が高く、どんな人でも公正に機会が与えられるのであれば、人々は刹那主義的にならず将来に希望を持って健全な生活を送るものだと思います。
欲望が渦巻いた
高度成長の時代の反省
ただし、中国の場合は、高度成長とはいえ、そこには一党独裁の下、不正や汚職が渦巻き、一部の人だけが暴利を貪っているのではないかという疑心暗鬼のなかで、また、同時にそれまでの清貧な生活から、目先にいくらでも欲望の対象が渦巻く社会へと変貌し、その中で人々の気持ちが舞い上がってしまい、自らを失う人が出現したというのが基本的な構造なのだと思います。
今までさんざん貧しい生活をしてきたので、今さえよければいい、そういう気持ちが強いと、汚職をしたら極刑になるリスクがあるということが分かっていても、盲目的になってしまい、それでもリッチになりたい、どうせ将来なんか誰も保証できないのだからという心理です。
このような社会的な雰囲気は、特に80年代から90年代にかけて一部に感じられたと思います。特に、80年代は、この改革開放さえ後戻りする可能性あるのではないかという疑惑を外国人のみならず、中国人自身が感じていたこととも関係があるとおもいます。
その結果として、皆さんが日本で耳にする、汚職や犯罪、そこまでいかなくとも簡単にビジネスパートナーを裏切ったり、騙したりといった社会の風潮、また環境破壊の問題を助長したのだと思います。そのような傾向は、株式市場においても顕著にみられ、昨年私がダイヤモンドから上梓させて頂きました「中国株式市場の真実」のなかで、「株式市場において行われた人類が考えうる全ての経済犯罪、詐欺、汚職」を具体的な事例を紹介しております。