「イスラム国」の台頭とそのイラク、シリアでの支配地域の拡大に対し、当初オバマ米大統領は不介入の姿勢を示した。だが6月になって「300人以下の軍事顧問をイラクに派遣」と発表し、8月にはイラク領内の「イスラム国」拠点に航空攻撃を開始、9月にはシリア領内の「イスラム国」拠点への航空攻撃、軍事行動を拡大せざるをえなくなった。10月にはついに「地上部隊を出すか否か」が米国内で議論の焦点となった。戦いは一度始まると、国の指導者には不本意でも、エスカレートしがちなことを歴然と示す例だ。日本が集団的自衛権行使で自衛隊を海外に派遣するか否かや、尖閣諸島での日中対立を考える際にもこれを「他山の石」とし、常にエスカレーションの危険性を勘定に入れる必要があることを我々に示している。
かつてCIAがISISに武器供与
2011年に始まったシリア内戦で、米国はトルコ、サウジアラビア、カタールなどイスラム・スンニ派諸国と共に、シリアのアサド政権打倒を目指し、反政府軍を支援してきた。当初はシリア軍から離反したスンニ派将兵が主体の「自由シリア軍」に援助をしたが、これは住民の支持が低くて士気も振るわず弱体化し、反政府勢力の主力はアルカイダに属する「ヌスラ戦線」や、あまりの残虐、悪辣な行動が一因でアルカイダから破門された「イラク・シリアのイスラム国」(ISIS)などイスラム過激派武装集団に移った。外国から供与された資金、武器、車輌もそれに流れることが多く、米中央情報局(CIA)がISISに武器を供与し、ヨルダンで訓練している、との報道も米英で出た。
米国の予想に反し、アサド政権は倒れず、主要都市を次々と奪回し平定を進めた。「自由シリア軍」は弱体化し、「ヌスラ戦線」はアルカイダ系、クルド人はシリア政府に懐柔されたから、CIAなどがシリアで支援する相手としては「反アルカイダ」のISISしかなかったのだろう。
これで戦力を強め、戦闘経験を積んだISISは砂漠が広がるシリア東部のユーフラテス川沿いの地域やトルコとの国境地帯を支配し、昨年12月30日からイラクに侵攻、1月8日に首都バグダッドの西約50キロのファルージャ(人口32万人)を占拠した。だが、この時には米国政府はほとんど関心を示さず、メディアでも注目されなかった。米軍はすでに2011年12月にイラクから撤退を完了しており、失敗したイラクのことは考えたくもなかったろうし、ISISをなかば味方のように見ていたのだ。
ところがISISは6月6日、イラク北部で大攻勢に出てイラク政府軍2万人以上を潰走させ大量の重装備を捕獲、9日に油田地帯の中心地モスル(人口66万人)を占拠、急速に南下して11日にはバグダッドの北約150キロのティクリートを制圧した。ISISは首都に西と北から迫る形勢となっただけでなく、米国石油企業が進出しているイラク北部のクルド人地域の油田地帯を脅かすことになったため、米国では俄かに関心が高まった。
不介入から空爆までの経緯
だがオバマ大統領は6月13日にこの問題に対し初めて出した声明で「地上戦闘部隊は派遣しない。航空攻撃を含む選択肢を検討する」としたが、同19日の記者会見では航空攻撃も見送り、「最大約300人の軍事顧問を送る」と発表、「米軍は1つの宗派を支援するために軍事行動をとることはない」と事実上の不介入宣言を行った。軍事介入はしないのだから、「軍事顧問」も状況把握のための派遣の性格が濃かった。