仕事関連の打ち合わせを済ませた夜、ホテルに戻る足に任せて、この金鐘を経由した。ところが、金鐘に一歩踏み込むと、まるで解放区に入ったような感じで、テントの中には小さなランプが点されている。飲み物を片手に会話に夢中になっている若者の姿があちらこちらに見える。

 自習室となるエリアもある。本を読んだり、ノートに何かを書きこむ大学生たちもかなりいた。中心部では集会が行われている最中だ。大音響のスピーチと陸橋に吊るされている抗議の垂れ幕は、なんとなく文革時代の中国本土の光景を想起させる。公共トイレに入ると、洗面用具などがたくさん置いてある光景に息を飲んだ。まるでどこか大学の学生寮の洗面所のような風景だ。道路の占拠活動が長期戦になっているのが分かる。

 1997年、香港が中国本土に返還されたとき、いまや故人となった邱永漢さんが、これからの香港は中国の政治改革の特区となっていくだろうと予言した。私もその観点を支持している。しかし、まもなく返還20周年を迎えるが、残念ながら、混迷する香港のいまを見ると、香港はまだ中国の政治改革特区になっていない。もちろん、これは香港だけの責任ではなく、中国政府と香港政府もその責任を負うべきだと思う。とくにこれまでの10年間はかなり無為無策で、時が空費されたと言われても仕方ない。

天津にも追い上げられる香港の焦り

 しばらく前、来年あたりで天津のGDPが香港のそれを超えてしまうという報道を読んだことがある。中国の直轄市のなかで天津は長らく停滞、低迷の象徴だった。かつては北京、天津、上海を指す「京津滬」という固有名詞が知られていたほどその存在を誇った天津の地位は、いまやかなり後退してしまった。いまは中国のトップ3都市と言えば、北京、上海、広州を指すということになっている。

 しかし、この地位が低下し続けていた天津の経済力も香港を脅かすほどに成長している。報道によれば、上海と北京のGDPはそれぞれ2009年と2011年に香港を超えた。天津も2015年に香港を超えるという。しかし、わずか10年前まで、天津の経済力はまだ香港の四分の一しかなかった。香港の地位低下が天津以上のものになっていることは誰の目にも明らかである。