アベノミクスとは
結局なんだったのか

 野党は、消費増税先送りの是非よりも「アベノミクス」に対する評価そのものが総選挙の争点だとも主張している。GDP想定値が予想以上に悪かったことで、アベノミクスは失敗したと捉える有権者が増えることを期待し、野党は攻勢を強め始めている。だが、経済政策の是非を争点に野党が選挙を戦うのは、現実的には極めて難しい。

 アベノミクスとは結局、株高・円安に誘導することで、企業が短期的に営業利益を増やして目の前の決算期を乗り切り、一息つけるというものに過ぎなかったと思う。長年の不況に苦しむ企業経営者や、部長、課長、その部下の平社員の「とにかく利益が出るならなんでもいい」という心理によって、高い支持を得たに過ぎない(第75回を参照のこと)。

 リフレ派が想定したアベノミクスの効果は主に、金融緩和、公共事業拡大によって「円安により、輸出が増えて国民所得が上がる」「低金利を促すことにより、企業の設備投資が増える」ということだった。しかし、既に海外移転を完了した日本企業の輸出が増えるわけがない。また、企業は工場を日本に戻すつもりもない。したがって、日銀の金融緩和で銀行に大量の資金を供給しても、企業には資金を借りるニーズがない。円安で営業利益が増えても、グローバル競争に晒される企業は、容易に従業員の給料を上げられない。

 中小企業は、円安の悪影響をモロに被り、原材料費、燃料費の高騰に苦しむ。結局、安倍首相の祖父・岸信介氏が「革新官僚」として取り組んだ「統制経済」まがいに、政府が「給料を上げろ」と企業に圧力をかけて、やっと給料を上げることで、無理やり「格好をつけた」だけだった(第80回を参照のこと)。アベノミクスなど、なんの実態もないのは明らかだ。野党がアベノミクスは失敗だったと安倍内閣を攻撃するのは、一見さほど難しいことではないように思える。

国民はアベノミクスを
簡単に捨てられない

 ところが、事はそんなに単純にはいかない。アベノミクスが瞬間的だったとはいえ、「失われた20年」の長期経済停滞に苦しむ国民に一息つかせたという事実は侮れないからだ。

 国民は、第二次安倍政権が発足するまでの、歴代政権が苦心惨憺取り組んできた財政再建や持続可能な経済運営に、一定の理解を示していたと思う。だからこそ、野田政権時に消費増税は国民の理解を得たといえる(第40回を参照のこと)。しかし、それでもなお、国民はとにかく、「今さえよければいい、一息つきたい」と考えたのだ。国民は、長年のデフレとの戦いに疲弊し切っていた。なによりもまず、そこから解放されたかったのだ。

 そして、「黒田バズーカ・2」に続き、安倍首相が経済対策を発表する。それで、次の決算期もなんとか乗り切れると国民は考えるかもしれない。経営者も現場も、アベノミクスの本質が「モルヒネ」のようなものだとわかっていながら、簡単には否定しがたい心情があるのだ。

 一方、野党が「アベノミクスは失敗だ」と批判する時、それではどんな経済政策をやるのかというと、結局、過去と同じ苦心惨憺たる財政再建や持続可能な経済運営であり、「構造改革」「成長戦略」に尽力するということになるのだろう。ところが、これらは真面目にやればやるほど国民に「痛み」を強いるものだ。繰り返すが、国民は「痛み」を伴う改革の必要性は理解している。しかし、理解はしていても、アベノミクスを捨てて、またひたすら耐え忍ぶ日々に戻れるかというと、躊躇してしまうのではないだろうか。