南牧村は昼と夜の寒暖の差が大きいため、害虫の被害が少ないそうだ。また、斜面の狭い畑なので、逆に効率よくできるという。大規模農業は機材などにコストがかかり、労働時間も長くなってしまうが、南牧村のような斜面の狭い畑での小規模農業は、かえって効率よくできるという。

「南牧村では借金をせずに自分の体力に合った規模の農業に徹すれば、生き生きとした生活が年齢にかかわらず送ることができる」と、伊藤さんは明言する。そして、重要なのはどこの農家も作るようなものには手を出さず、誰もやっていないような作物を栽培することだと、秘訣を明かす。

「何が地域活性化なのかといえば、生産が収入に結びつくことです。多寡を問わず、カネになることです。私たちは外貨を稼いでいます。やる気さえあれば、南牧のものでカネになるものはたくさんあるはずです」

 こう指摘するのは、南牧村で花卉栽培をしている石井清さんだ。石井さんは1977年に結成された南牧村の「南牧花卉生産組合」(組合員15名)の前組合長で、発足時からその屋台骨を支えてきた地元の専業農家。現在、63歳である。

蒟蒻栽培全盛のなか花卉栽培に着手
産地消滅の危機に救世主が現れる

 石井さんは、1970年代後半から花卉栽培を始めた。当時、南牧村の農業と言えば何と言っても蒟蒻だった。花づくりに取り組む農家は少なく、石井さんは周囲の人から「農業高校を出て花をつくっているのか」と半分バカにされたという。それでも、仲間を募って菊の栽培を手掛けた。花卉生産組合の発足当初のメンバーは、27人だった。

 ところが菊の栽培は難しく、四苦八苦するはめになった。高齢化や離農も加わり、仲間が1人また1人といなくなっていった。十数年が経過すると、とうとう4人にまで減少してしまった。このままでは産地消滅だと石井さんは危機感を募らせ、仲間集めに奔走した。

 しかし、菊づくりのハードルが高いように受けとめられていて、尻込みする人ばかりだった。そんなときに移住者の伊藤さんがメンバーに加わった。石井さんらが直接、「この人ならば」と声をかけたのである。