「まぐろ水揚げ日本一の町」焼津で、33歳で魚の加工販売という家業を継いだ寺岡社長。東京の水産商社で働いた経験はあるものの、当初は勝手がわからず苦労することも多かったという。やがて、「まったく新しい会社」を生み出すために、「CI」的な発想で次々と施策を打ち、10年で年商は倍増となった。
古株の社員と対立した時期も
株式会社マルイリフードサプライ社長 寺岡弘泰氏 |
祖父から父へ、そして母親へと引き継がれてきた家業、そういう経営スタイルにおいては、今までの当社の長い歴史を作ってきてくれた家族のような社員が多数います。ですから事業を引き継ぐにあたっては、そういう古手の社員とどう向き合っていくかが非常に大事な要素でした。
私は20代前半の3年間、築地の大きな水産商社に勤めていました。そして後継として当社に入社したとき、あまりの企業文化の違いに驚きました。そして「これは何とかしなくては」、そう思ったのです。
一方で古手の幹部社員の意識は全く逆です。私が子どもの頃からよく現場に出ては可愛がってもらっていたものですから、彼らからしたら「無知なおぼっちゃん」です。言い換えれば「俺が面倒見てやるよ」、そんな感覚だったのではないかと思います。
その意識の差から生まれる軋轢のようなものは多々ありました。特に会社の中枢を担ってきた番頭格の幹部とは、「二つの派閥がある」と外部の人から噂されたくらい、当初は犬猿の仲でした。
でもあるとき、先代を知る取引先の方から「そういうあなたの会社の生き字引のような人を大事にし共存できるようではないと、しっかりとした経営はできないよ」と言われたのです。
その言葉は今でも印象強く覚えていて、非常に大きな転換点となりました。そこからはムキになって意見を戦わせるだけではなく、「何事も受け止める度量の広さ」そういう姿勢を積極的に表に出すように心がけたのです。