一見すると、携帯電話の世界は、各社が入り乱れて競争しているように感じる。だが、競争の実態は、最大手のNTTドコモから奪ったパイをau(KDDI)とソフトバンクモバイルが取り合っているというほうが正確である。そもそもルーツである自動車電話の時代は、NTTのシェアは100%だった。これまで、焦点が当てられなかったNTTドコモが抱える難題に迫る。(取材・文/『週刊ダイヤモンド』編集部 池冨 仁)

グループで2番目の“捨て子”が
現在は利益の88%を稼ぎ出す

「NTTだろうが、ダメだ」

 1985年8月15日、その3日前に起きた日本航空123便墜落事故を受けて、群馬県多野郡上野村の御巣鷹に向かっていたNTTの特命チームは、墜落現場である尾根にさしかかる手前で警察官に止められた。

 その日、NTTドコモの母体となった高度通信サービス事業本部移動体通信事業部でサービス開発担当課長だった加藤薫隊長(現在、取締役常務執行役員兼経営企画部長)は、総勢8人で12台のショルダーホン(試作機)を担いで行った。その新型電話は、1台の重さが約3キログラムもあった。

 NTTの特命チームの前に立ちはだかった警察官は、汗だくで山道を登ってきた全員が肩から黒い奇妙な機械を提げていることに気づいた。「それは何か?」と聞いてきたので、すぐさま加藤隊長は「電話機です。これを使ってもらうために、やって来ました」と答えると、「ここで使えるのか?」と念を押す。「使えます!」。

 すると、警察官は、初めて見る電話機を使って自分の家に電話をかけ始めた。じつは、その警察官は、2週間前に結婚したばかりだったのである。

 そうこうしているうちに、大量の乾電池を抱えて山道を走る自衛隊員の集団に行き合った。彼らは、事故現場でスイッチをオンにしたままで使っていたハンディトーキー(無線機)に必要な乾電池を人海戦術で運んでいたのだ。

 再び、加藤隊長が電話であることを申し出ると、その場で自衛隊への貸し出しが決まった。まだ正式に無線電波の使用免許が下りていなかったにもかかわらず、監督官庁の旧郵政省(現総務省)は「超法規的措置」として許可を出したのだ。

 現在の携帯電話のルーツは「自動車電話」だが、次の段階に当たる「ショルダーホン」はその直後に商品化される運びとなった。