このため選挙後も村内に大きなしこりが残り、住民の間に遺恨やトラウマが生まれたのである。競輪の収益で財政が潤沢だったこともあり、村には大きな課題もなかった。こうして村内に村長選挙そのものを嫌がるム―ドが広がっていった。 

 1979年の激戦を制した村長は、2期目を無投票でパスし、その任期切れ直前に急死した。そして、急遽、後継に担ぎ出された村の幹部職員が無投票で新村長に。以来、一度も選挙せずに4期務め上げ、助役(元村議)にポストをバトンタッチした。現職の大谷良孝さんだ。

 大谷村長も一度も選挙戦をせずに3期務め、今年1月には無投票で4期目に突入するものと予想されていた。「これまで通りで村はうまくいくはずだ」と、暢気に構えている人が多かったからだ。

母親の介護のためにUターン
69歳新人候補の決起

 と言っても、弥彦村を取り巻く環境は大きく変わっていた。少子高齢化や人口減、過疎化といった諸課題と弥彦村も無縁ではなかった。それどころか、頼みの綱となっていた競輪事業は明らかに下り坂になっていた。もはや、これまで通りでいられる時代ではなくなっていたのである。

 昨年7月に村長選に名乗りを上げる人物が現れ、弥彦村内は大騒ぎとなった。なにせ56歳以上の住民しか、自分で自分の村のトップを選んだ経験がないのである。むしろ、村の将来に関する政策論を聞いたことがないという村民の方が多かった。民意を示す機会も問われることもないまま村政が続けられていた。新人候補の出現にそれまで静まりかえっていた村内が、にわかに活気づいていった。そして、とうとう36年ぶりの村長選が実施されることになったのだ。

 弥彦村長選の注目点はそれだけではなかった。名乗りを挙げた人物の出馬に至るまでの経緯も、意味深かった。今の日本社会の姿を投影し、かつ地方再生へのヒントのようなものが見え隠れしていた。