1月20日正午過ぎ「私、バラック・フセイン・オバマ、は能力の限りを尽くし合衆国憲法を遵守・保護・防衛し、合衆国大統領の職務を忠実に遂行することを厳粛に誓う」と宣誓して、第44代アメリカ合衆国大統領に就任した。我々は通常バラック・オバマと呼ぶが、正式には「フセイン」が入る。

 民主党の大統領指名選挙が始まったころ、名前のおかげで競争相手からアラブ人と中傷され、必死に自分がクリスチャンであることを弁明する場面があった。もう今は誰も名前で足を引っ張る者はいない。だが、大統領に就任したオバマがこれからどのような外交を展開するのかを占うために、大統領の中にある「国際性」を辿ってみよう。

 オバマはケニア人の父親と白人アメリカ人の母親との間に1961年にハワイで生まれた。現在47歳である。両親はハワイ大学のロシア語講座で知り合って愛し合う仲になった。父バラック・オバマ(大統領と同じ名前)はケニアからの留学生であった。母アン・ダナムはカンザス州の生まれであるが、両親のハワイ移住に伴ってハワイ大学に入学したアメリカ人だった。

 両親は大統領オバマが生まれて3年後に離婚し、父親はケニアに帰国した。そして1982年に自動車事故で亡くなっている。オバマ大統領はその間父親に一度しか会っていないという。彼の宗教はイスラム教であったが、あまり敬虔な教徒ではなかったようだ。父親は帰国後に再婚し新しい妻との間に4人の子供をもうけている。再婚相手の女性サラ・オバマは健在で、今回の大統領就任式にケニアから参加した。

 母親の先祖はアイルランドからの移民であるという。古くはミズーリ州に住んでいたが、奴隷解放論者だったために同州から追放された過去を持つ。母親がケニア人と結婚したのも先祖の血が騒いだのかもしれない。

 母親は離婚して間もなくインドネシア人の地質学者ロロ・ソエトロと再婚した。ソエトロもインドネシアからハワイ大学に留学してきた留学生であった。またしても色の浅黒い外国人である。1967年にインドネシアにスハルト政権が誕生すると、大統領命令ですべての海外留学生は帰国を命じられた。そこでオバマは母親と一緒に義父の祖国インドネシアに渡った。オバマ6歳の時であった。オバマには母親が再婚後に生んだ異父妹マヤ・ソエトロがいる。マヤは成人して中国人(国籍はカナダ)と結婚している。

 オバマ10歳の時に母親のもとを離れ、単身ハワイに戻って母方の祖父母と暮らし始めた。この頃のオバマは、世間の目が気になり、自分を忘れたくてアルコール・マリファナ・コカインに走ったと回想録に記している。ハワイの地元高校を卒業し、カリフォルニア州ロサンゼルスのオクシデンタル・カレッジに入学し、3年生からニューヨークのコロンビア大学に編入している。コロンビア大学では政治学と国際関係論を専攻した。

 オバマの親族は誰も今はハワイにいない。母親は80年にロロ・ソエトロと離婚して、ハワイに戻って生活していたが、95年に卵巣がんで死去している。祖父は92年にすでに亡くなっており、唯一残っていた祖母は、大統領選挙日の2日前に朗報を聞くことなく息を引き取った。