十二支が編み出された頃(紀元前17世紀)、中国では豚は既に家畜化されており、身近な存在だった。中国で「亥」に当てはめられた猪は「ブタ」であった。
そういう文化が輸入された頃の日本においては、まだ狩猟によってイノシシを得るのが普通であり、養豚は一般的というにはほど遠い状況であった。ブタは現代でいう“珍ペット”に該当していたであろう。十二支が日本に紹介されたとき、「亥」に「イノシシ」が当てられたのも、当時からすれば当然だったろう。
中国文化圏では十二支は普遍的なものであることから、当事すでに一般に普及していた「ブタ」が「亥」に当てはめられたが、日本は周辺国だけに文化が遅れていたためブタは普及しておらず、亥=ブタにはならなかったのである。その来歴ゆえに、例えば2007年は、日本では「イノシシ年」であり、中国では「ブタ年」であるということになる。
また、十二支はそれぞれの国で陰陽五行道などと結びつき、十干十二支などに発展し、変質していく。結果として60年で一巡するようになり、年にからんだ様々な信仰も生じていく。
日本では、「丙午の年は火災が多く、その年に生まれた女は夫を殺す」という迷信が有名だが、ベトナムの暦では2007年は「金のブタの年」と呼ばれる60年に一度の縁起のよい年とされ、この年に生まれた子は幸福になると言い伝えられていることから、ベトナムではベビーラッシュとなっている。日本で丙午(ひのえうま)の年に出生率が低下するのとは対照的だ。
ブタの色
日本でブタが一般的になる頃は、中国などの他地域よりだいぶ遅れたため、品種改良の進んだ「白いブタ」を見ることになる。故に日本人は、ブタというとピンクか白色の動物と思いやすい。黒ブタという言葉は「そういう特殊なブタだろう」とすなおにとられるが、ブタは白いものという思い込みがあるため、「白ブタ」というとブタでなく、“ある種”の人間を指す表現になることがある。日本人にとって、ブタのことを指すときに、わざわざ「白いブタ」という必要性が低いからだ。