シリーズ40万部を突破したベストセラー『統計学が最強の学問である』の著者・西内啓氏が、統計学をテーマにさまざまなゲストと対談するシリーズ連載。今回のゲストは、日本の公的統計の要である、総務省統計局の前局長、現研修所長の須江雅彦氏です。日本が社会変化に十分適応できていないのは、人々のデータ分析力と理解力が不足していたからだと語る須江所長。日本の統計リテラシーを上げるためには、何が必要となるのでしょうか。(構成:崎谷美穂)

「エリート」の教育レベルが経済発展の差になる

西内 須江さんは2012年から統計局の局長に、そして2014年に統計研修所長になられたんですよね?

須江雅彦(すえ・まさひこ)総務省統計研修所長。総務大臣官房統計情報戦略推進官。 東京都出身。中央大学法学部法律学科卒業後、総理府入府。内閣官房、官房副長官秘書などを経て、労働省職業安定局、通商産業省産業政策局に出向。総理大臣官邸報道室長、内閣広報室内閣参事官、内閣府参事官、大臣官房人事課長、日本学術会議事務局次長(イノベーション25担当大臣特命室次長)等を歴任し、総務大臣官房審議官、財務大臣官房審議官を経て、2011年に総務省統計局調査部長、2012年に統計局長に就任。2014年より現職。

須江 はい、統計局の仕事は1999年からで、局長には2012年になりました。それまでは内閣官房や内閣府、財務省、経産省などで経済政策や構造改革、イノベーション推進などに携わってきました。そうした中で、これだけ経済力もあり、教育水準も技術水準も高いのに、なぜ日本という国が変われないのか不思議だったんです。そして段々と、ポイントは人々の統計リテラシーと意思決定に際して十分なデータ分析が欠けているところにあるんじゃないかと思うようになりました。

西内 統計以外のお仕事をされてきたからこそ、気づけた知見ですね。

須江 古い話になりますが、1989年のベルリンの壁崩壊後、世界は大きく変化しました。それまでの日本は、冷戦構造のなかでうまく商売をして、どんどん成長してきました。でも、東欧諸国が資本主義に入り、中国も市場主義を導入して、世界がひとつの市場としてつながるようになり、国際競争が激化した後も、以前と同じような感覚で商売をしようとした。そしてバブル崩壊もあって、自信を喪失し、停滞し続けたんです。

西内 失われた20年ですね。

須江 一方、アメリカは80年代に日本の成功を脅威に感じて、その秘訣を日本企業のやり方から学ぶ時期がありました。そこで統計で品質改善していく手法を再発見した。そこから、製造過程の品質管理だけでなく、企業経営全般を改良してきたんですね。そうして、アメリカの企業は復活した。

西内 そうですね。

須江 そしてもうひとつ、大きな変化として同じ時期のインターネット商用開始以降のICTの劇的な進化があります。インターネット経由によって、これまではメディアを通さないと情報が伝わらなかったのが、個人から個人へ直接情報が伝わるようになった。その情報はデジタルデータとして、どんどん蓄積されていきます。日常業務も取引もICTによって進められようになり、今までだと捨てられていた情報が、蓄積・分析できるようになったんです。そうした時代の変化を捉えて、人材を育成しデータ分析によって最適な意思決定を追求し続けている国と、自信を喪失して足踏みしていた国の差が、この20年でどんどん開いていったのではないかと思うんです。

西内 経済学者が経済成長の要因について歴史的なデータを分析すると、多くの場合要因として出てくるのが人的資本と言われる教育水準の高さなんですね。発展途上国も含めると読み書き算盤というところになるのですが、先進国のトップ10カ国の差を分けるのは、高等教育のレベルなんじゃないかと思います。

須江 なるほど。

西内 いわゆるアメリカのエリートって、修士号は当たり前、博士の学位を持ってる人もごろごろいます。当然その過程では、もともと文系科目を専攻していた人でも、統計学をやってきている。米国企業では、そういう人が経営陣やマネージャークラスにいるわけです。中国や韓国の大企業ではどうかというと、幹部になるのはみんなハーバードやスタンフォードでがっつり勉強して戻ってきた人たち。一方、日本では、大学時代は麻雀しかしていなかったという人でも、けっこう偉くなれたりしますよね(笑)。まあ、麻雀で統計解析を使っていたのなら統計リテラシーが高い可能性もありますが……(笑)。

予算に差をつけて、ランダム化比較実験を

須江 そんな人はそうそういないでしょうね(笑)。また欧米の大学って、文系と理系が基本的に分かれていませんが、日本だと、ともすると高校から文系理系でクラスを分けてしまうこともあります。

西内 数学は苦手だといって、理数系科目全般を避けてしまう人もいますね。

須江 統計って数学の一部として教わると、何の役に立つのかわからないですし、おもしろくないんですよね。でも、実社会に照らし合わせて科目横断的に学べば、役に立つことがわかる。学校教育で統計と社会を早めに結びつけてあげることで、学ぶ意欲がわくんじゃないかなと思います。

西内 そうですよね。私の本でもなるべく、具体例を出すことで、イメージがわきやすいようにしました。

須江 学校教育の中では、20年後れでようやく統計教育が改めて学習指導要領に入りましたが、まだまだ十分ではないと感じています。社会の実例を用いて分析し、問題解決していくという活用力が身につくところまでは至っていないのです。さらに、日本は大学に統計学部のないめずらしい国でもある。医学統計や経済統計など、既存の学部に属した学科としては存在していますが。これでは、せっかく汎用性のある統計というものが生かしきれてないなと思います。

西内 いま統計学を社会人として活かそうとすると、コンピュータを使って多変量解析するぐらいのことは普通に必要になってきます。教師の側も10年、20年前から教え始めていたらそういう時代の変化にキャッチアップできたかもしれませんが、今いきなり教えろと言われても浦島太郎状態ですよね。

須江 りんごとバナナがいくつあって、というレベルではもうないですからね。そして、学校で学ぶことも大事なのですが、やはり今の社会の改善のためには即効性に欠けるんです。社会の統計リテラシーを高めるという意味では、社会人の底上げがやはりキーになると思います。企業に勤める方々の統計リテラシーを上げていくことは急務でしょう。いまや国内市場だけで十分な収益を上げるのは困難です、世界のマーケットで勝負して、利益を上げていかなければ日本の経済水準は成り立たなくなります。どこに資源がある、どこの人件費が安いといった情報は、すぐに流通します。差が出るのは、企業内外の情報を使い、いかに効率的な経営を行うか。あるいは膨大なデータを使って、より人々のニーズに沿った付加価値のある商品・サービスを開発・提供するかというところになります。

西内 おっしゃるとおりですね。最近政府が進めている地方創生なども、地域のデータをきちんと分析して、施策を導き出すことが必要ですよね。

須江 そういった科学的な姿勢必要でしょうね。一昔の地方振興では、一律に補助金などを配って、内容はコンサルタントに丸投げ、提案されたように事業を行うというようなこともあったと言われています。何億円もかけてつくったリゾート施設が結局次々につぶれてもいきました。そういう失敗を見ていると、納税者として、施策の合理性を追求してほしいと思いますよね(笑)。

西内 そうですね、たまに「こんなことに税金が使われているのか!?」と驚くような事業もありますよね(笑)。

須江 やはり、施策は評価とセットであるべきなんだと思います。PDCAサイクルが回せる程度の情報は、施策のプロセス内できちんと把握するべきですよね。

西内 予算をつけるときに、ちょっとランダム化して比較できるようにするとか(笑)。

須江 そう、Aパターン、Bパターンとやってみるのも時には必要ですよ。

西内 全然変わらなかったというケースも絶対あると思います(笑)。

須江 そういうことを検証しながらやれば、合理化が進められると思うんです。合理化って、必ずしもお金の節約ではなくて、より効率のいい方法を見つけて、より良いサービスを受けられるようにする、ということです。同じ投資額でも、そういう工夫はできるはずだと思います。