3月23日未明、アジアを代表する稀代の政治家がこの世を静かに去った。シンガポール初代首相のリー・クアンユー(Lee Kuan Yew、李光耀)氏は、資源も伝統もない「島」から今日の繁栄国家を築き上げた。建国の父の足跡をたどる。(シンガポール在住企業アドバイザー・矢野 暁)

「強烈な指導者ゆえに摩擦もあったが、一つ確実なことは、彼がいなければ今のシンガポールは絶対になかったということだ」

 シンガポール初代首相のリー・クアンユー氏は、重い肺炎のため春節前の2月5日より入院していたが、3月23日未明、逝去した。享年91歳。建国の父を失うという現実に直面した今、シンガポール島は深い悲しみに包まれていると同時に、国民は故人の偉業をあらためて思い起こしているようだ。筆者の知り合いのシンガポール人は皆、冒頭のような言葉でリー氏の功績を称えている。

リー氏が議員として代表した選挙区の公民館で、故人の遺影に感謝と惜別の念を伝える市民たち。逝去後1週間、全島が喪に服した
Photo:REUTERS/アフロ

 リー氏は、シンガポールが英国連邦内の自治州となった1959年に首相となり、65年のマレーシアからの分離独立を経て、31年間の長期にわたりトップリーダーとして国家建設・運営を陣頭指揮。90年11月に首相の座をゴー・チョクトン氏に譲った後は上級相に、そして長男のリー・シェンロン氏が政権を引き継いだ後は内閣顧問を歴任したが、2011年5月に同職を辞してからは、政治の表舞台から退いていた。昨年8月の独立記念日式典の際、テレビ画面を通じて目にしたリー氏の姿は、例年とはまるで異なり、衰弱して元気がないといった様子だったことを記憶している。

2006年5月に東京で開催された国際会議に出席した、当時82歳のリー氏。晩年に至るまで、活発な外遊と言論活動を繰り広げた
Photo:AFP=時事

 リー氏は、広東省から英国の海峡植民地シンガポールに移住した曽祖父から数えて4世に当たる客家系華人で、いわゆる英語教育組のエリート層に属した。日本ではほとんど知られていないだろうが、ハリー(Harry)という英語名を持ち、親しい人たちはこの名で呼ぶ。ケンブリッジ大を首席で卒業し、弁護士としてキャリアを始め、その後政界に入る。晩年に至るまで、眼光鋭く頭脳明晰な人だった。自分の考えをストレートに語るゆえに国内外で物議を醸したことも多い。だが、自身の確固とした信念と論理が土台にあり、賛否は別として、同氏の言葉には考えさせられることが多かった。