『森のイスキア』主宰・佐藤初女氏のところへは、女優・大竹しのぶさんや、総理大臣夫人・安倍昭恵さんなど数多くの有名人が「おむすび」を学びにくる。
1995年公開、龍村仁監督『地球交響曲<ガイアシンフォニー>第二番』でその活躍が世界中で注目された初女さん。海外からの講演依頼も多数。現在も精力的に講演活動中だ。
その初女さんが93歳の集大成書籍『限りなく透明に凜として生きる―「日本のマザー・テレサ」が明かす幸せの光―』を出版した。
本書の中で“哲学と限りなく透明”について語り合った哲学者の芳村思風氏が、1200名を集めて開催された出版記念講演会でのスピーチを一部ご紹介する。(構成・池田純子)

透明というのは心に濁りがないこと、
私心のないこと

芳村思風
(よしむら・しふう) 1942年、奈良県生まれ。現在は三重県鳥羽市に在住。学習院大学文学部哲学科卒業。学習院大学大学院博士課程を中退し、「思風庵哲学研究所」を設立。「感性論哲学」の創始者。感性を原理とした哲学を世界で初めて体系化し、感性ブームを巻き起こした。全国に芳村思風を囲む会(思風塾)が結成されている。現在、日本哲学会会員、中部哲学会会員、思風庵哲学研究所所長。『感性の時代』(思風庵哲学研究所)、『人間の格』『人間観の覚醒』(致知出版社)、『いまこそ、感性は力』(共著、致知出版社)など著書多数。

 今回、初女先生が書かれた『限りなく透明に凜として生きる』、これはまさに初女先生の信念を言葉にした非常に美しいタイトルだと感動しました。

 初女先生は人間として本物のあり方を“限りなく透明に”と表現しておられますが、透明というのは違った言葉でいえば、濁りがないとかさわやか、私心がないといった意味合いに通ずるのではないかと思っております。

 やはり人間の行動というのは、ついつい自分の気持ちが出てきてしまいますが、私心がない状態で言葉を発する、そういうところに本物としての人間が感じられるわけですね。

 “凜として生きる”、これもわたしも非常に好きで、これはなにかしら信念を貫いて、そしてぶれない生き方そのものですね。

 初女先生は「食材の命が移し変わるときに透明になる」とおっしゃいますが、食材だけでなく、人間もまた生き方によって本物の状態になると、なにかしら透明感を感じさせたり、ほんとうに凜とした感動を人に与えたりということが出てきます。

 そのためには、自分の命が燃えることが大事ですね。
 つまり自分の意識なり私心が消えてしまう、自分ながらに自分の存在を忘れてしまって夢中になる、そういう命が燃えるときには、周りの人に感動を与えることができると思うんです。

 たとえば、仕事に情熱を傾けて、我を忘れて仕事に熱中する、そういう瞬間というのはやはり私心がないし、意識において透き通った、そういった純粋な透明感が出てきます。

 我々がこういう生き方をしようと思ったら、まずはどうしたら命が燃えるかということを考えてみなければいけません。

 この命が燃えるという状態は、自分自身がなにかに意味や価値や値打ち、素晴らしさを感じることが第一歩。

 もうこのことのためなら命もいらない、命をかけてもいいというものに出合ったときに命というものはなにかしら透明で濁りのないという状態になるだろうと思うのです。