「ニュース23」のキャスターとしての筑紫氏の現地取材は、記者やスタッフのお膳立てしたものがほとんどであった。彼のライフワークであった沖縄取材ですら、現地に先乗りしたディレクターが当たりをつけて、インタビューする相手を探し出し、それから筑紫氏が乗り込むといった具合であった。

 永田町取材に関してはもっとひどい。記者クラブを批判しながら、記者クラブのパスで記者会見に出席する。かと思えば、赤坂TBSの目と鼻の先にある国会に通う彼の姿を見かけた者はほとんどいない。いや正確には、たまにある。だが、それは国会ではなく、首相官邸だ。なぜなら、当時の小泉純一郎首相と、オペラなどの音楽談義に華を咲かすために放送前に数回そこに通ったのだ。

 そして、極めて残念なことに、内閣総理大臣とのそうした会話の内容が、夜の放送に活かされることはほとんどなかった。

ジャーナリストとしての姿勢は
「甘い」と言わざるを得ない

 このように「梯子の一番上のジャーナリスト」になってしまった筑紫氏に、筆者がインタビューの中で尋ねたかったことは、友情関係を結んだ政治家との距離感をどう考えるかという一点だった。

 「泥棒にも三分の理があると思う。僕はたいていの人について情に流されることがあるのは確かで、とくに田中(真紀子)さん、辻元(清美)さんなどの友人についてそうであるのは認めます。しかし、女性が政治の舞台に出た場合、ハンディを背負っているのは考えてあげるべきで、つねづねそのような取材対象に『甘い』という批判があるのは知っています。しかし、それが僕のやり方であって厳しい質問を浴びせるようなハードなこの職業のルールに準じることはできない。その意味では、あなた(上杉)がおっしゃるように失格であります」

 いかなる時でも仕事のルールよりも、友情関係を優先させる優しさこそが筑紫氏の真骨頂である。それが彼の人徳のなせる業であるのも確かだ。

 だが、ジャーナリズムは、筑紫氏の友人を「女性だから」という理由で攻撃したわけではない。政治家、とりわけ一般人よりもはるかに強い権力を持つ公人だからこそ、権力のチェック機能を働かせて批判してきたのだ。その点で、筑紫氏のジャーナリストとしての姿勢は「甘い」といわざるを得ないのではないか。

 筑紫氏の功績は揺るがない。だからこそ、負の部分にも焦点を当てることが必要なのだ。それが筆者を始め、後に続くジャーナリストたちにとっての最高の教材になるはずだ。

 筑紫氏のジャーナリストとしての仕事を認めるならば、日本のメディア、とくに朝日新聞とTBSには、是々非々の検証が求められているのではないか。

〈クリントン大統領や江沢民国家主席などの外国首脳を番組に呼んだりしたのも、おそらく筑紫氏が初めてだろう〉
※文中にあった上記「江沢民国家主席」は、「朱鎔基首相」の誤りでした。江沢民主席の出演の事実はありません。本文を訂正いたしました。
上記指摘は、大﨑雄二・法政大学社会学部教授ほか数名の読者からいただきました。ありがとうございました。
上杉隆拝