この民主主義の下では痛みを伴う改革を実行することが極めて難しい現象、言うならば「民主主義のジレンマ」とも呼べる現象は、国政にも存在する。たとえば、グローバル都市東京に世界の企業を誘致すべく法人税を大胆に下げようとしても、東京の税収の再分配の恩恵を受けている地方がなかなか納得してくれない。若者の負担を下げるために年金支給額をカットしようとしても、高齢者はなかなか首を縦には振ってくれない。直接的に損をする人たちは、必ず反対する。民主主義の下では、その「損をする」人達の数が「得をする」人達を上回れば、その改革は極めて難しくなってしまうことが宿命付けられているのだ。
筆者はかつて、ハーバード大学ケネディスクールの授業で、「最前線のリーダーシップ」を著したマーティ・リンスキー教授に、こう質問したことがある。
「民主主義の下で、政治リーダーが痛みを伴う改革を断行することは可能なのでしょうか」
この質問に対して、マーティ・リンスキー教授はJ.F.ケネディ・第35代米国大統領のエピソードを話してくれた。
人々は改革に抵抗しているんじゃない
「損すること」に抵抗しているのだ
ケネディ大統領と言えば、「Ask not what your country can do for you, ask what you can do for your country」(国家があなたのために何ができるかを問うのではなく、あなたが国家のために何ができるかを問うてほしい)」という名言で有名だ。
だが、実はこの言葉は大統領就任式で出た言葉である。
すなわち、選挙後にケネディはこの名演説をぶったのであって、選挙前には「ニューフロンティア」という耳触りのいい言葉(実は意味は同じなのだが)を、キャッチコピーとして大きく打ち出している。簡単に言えば、民主主義における政治リーダーが有権者に負担を求めるのは、それだけ難しいということだ。
ちなみに、ケネディ大統領は4年の任期を一期も満了することなく、1963年11月22日、テキサス州ダラスにて暗殺されている。
ケネディスクールの教授は、最後にこう言った。
「People never resist Change. People resist LOSS」(人々は改革に抵抗しているんじゃない。損することに抵抗しているのだ)
そう考えると、損することを堂々と人々に訴え、僅差まで追い込んだ橋下徹市長は、民主主義のリーダーとしては新しい存在であるし、69万4844人の人がそれに賛同した事実は、むしろ驚愕すべきことなのである。