>>(上)より続く

 そもそも、戦後年金の受給年齢がかつて60歳と定められたのは、その頃の日本人の平均余命が60代前半だったからだ。平均余命が80歳を超えるようになった今、年金を受給する人たちの意見がその財源を払う世代の意見よりも大きく政治に反映される仕組みは、改善されるべきではないだろうか。たとえば、年金を受給するようになったら、選挙へ行くためには一定の判断能力テストを課すといった制度も、1つの解決策として議論の価値があるように思う。(注)

「地方切り捨て」「高齢者切り捨て」と声高に批判する人は多いが、政治的マイノリティである「若者」「現役世代」を切り捨てていいはずがない。「老いては子に従え」なのか、「老いたる馬は道を忘れず」なのか――。もし、橋下徹が引退することで、「結局、若者は高齢者に勝てない」という強烈なメッセージを発信してしまうとするならば、そのこと自体、社会にとってマイナスなことだと思う。

 橋下徹はまだ45歳。10年経ってもまだ55歳である。今の安倍晋三総理大臣が第2次安倍内閣を組閣したのが58歳だから、政治家の中ではまだまだ若手。やり直しが認められてもいいのではないか。ちなみに筆者は35歳。10年経っても今の橋下徹市長と同じ年齢。45歳で失敗が認められる社会なら、筆者だって勇気をもらえる。

 もし本当に自らが提示した「大阪都」が正しいと信じるならば、ぜひあと10年、戦ってもらいたいと思う。敗けても敗けても、なお立ち向かっていく――。その姿に多くの若者が共感し、変革の原動力となっていくと思うからだ。あと、0.4%をひっくり返せば、大阪都は実現できる。たとえば、いったん大阪から身を引き、国政に出て、10年後にもう一度勝負を賭けたら、結果は逆転する可能性が高いように思えてならない。

 逆に、この未来への可能性を明確に示した点で、今回の住民投票は大いに意味があるものだったと筆者は思う。

(注)読者諸氏には、この意見が極論・暴論であることは筆者自身十分承知した上で、問題提起のためにあえて述べていることをご理解いただきたい。

【橋下徹が引退できない理由 その3】
改革勢力のリーダーが他にいないから

 そして、橋下徹が引退できない第三の理由は、改革勢力のリーダーが他にいないからである。橋下徹がいなくなることで最も直接的に負の影響を受けるのは「維新の党」であり、「大阪維新の会」であろうことは冒頭で述べた。はっきり言って、橋下徹のいない「維新」なんて、アンコの入ってないアンパンみたいなものである。

 自民党政権が安定感を増し、野党勢力の弱体化にもはや歯止めが効かない状況の中、政界再編は起きざるを得ないだろうが、果たしてこの野党勢力を率いるだけの逸材が今の政界いるだろうか。同じような顔ぶれがいつの間にやら政党を変えて居座っているため、なんだか使い古された印象しか受けないという方も、正直多いのではないか。

 維新の党の松野頼久新代表の師である細川護煕元総理らが、政界再編闘争を始める1990年初頭までは、「保守」VS「革新」というわかりやすい対立軸があった。この軸があまりにもわかりやすすぎたために、ベルリンの壁やソ連が崩壊して20年以上が経つにもかかわらず、今でも高齢の有権者や「政治通」ぶった有権者に会うと、「で、君は保守なの?」と尋ねられたりする。言うまでもないが、こんな軸は昭和の遺物でしかなく、何の意味も持たない。