老夫婦は店頭のカウンターに、息子や孫たちと一緒に映った写真を何枚も飾っていた。女性に聞くと、店の裏には庭付きの家があるのだという。「いつ、店を止めてもいい。ボケ防止に店を開いている」とまで言い出す。

 つくづく「こんな店を利用しなければよかった」と思った。幸福そのものであり、精神的にも経済的にも満たされた老人なのだ。「弱者」とは、とても言えない。

 しかし、メディアはこういう人たちを、依然として今も「市場原理が浸透し、競争で淘汰されつつある高齢者」という視点で、ヒューマニスティックに捉える。本来この場合の「弱者」とは、たとえば体が不自由になり、こういう店しか利用することができない、近所の人たちなのではないか。「救済せねばならない弱者」とは、いったい誰なのか――。

「弱者」という言葉がひとり歩きする今、改めてそれを考えたい。


タテマエとホンネを見抜け!
「黒い職場」を生き抜く教訓

 今回登場した老夫婦から筆者が感じ取った教訓は、次の通りだ。似たような境遇にいる読者は、参考にしてほしい。

1.弱者と認識されない
「真の弱者」にも目を向ける

 職場においての利害関係は、複雑だ。たとえば、うつなどの精神疾患になっている人は、確かに「弱者」と言えるかもしれない。一方で、その周囲にいる社員のことも考えないといけない。上司などから、うつの人のフォローを命じられたことで、仕事が増え、困り果てている人も少なくない。あるいは、育児休業などで休む人の仕事をすることで、自分が抱え込む仕事が膨大なものとなり、疲れ切っている社員もいる。

 本来、こういう社員もまた「弱者」であり、もっと配慮がなされなければならない。ところが、「リベラル」「市民派」と自認する人やメディアは、なぜか彼らを取り上げようともしない。現場を丹念に聞き取りしていない疑いがあるが、利害関係が複雑である以上、もっと広い視野で見据えるべきではないだろうか。