その中で興味を持っているのが仏教で、かつて禅宗の修行の真似事みたいなことをしていました。もう長い間使っていませんが、京都の八幡市にある臨済宗妙心寺派のお坊さんの修行道場である円福寺には、いまも私が座禅を組むための定位置を持っています。禅宗に「起きて半畳、寝て一畳」という言葉があることをご存じでしょうか。座禅をして座れば半畳で足りるし、そのまま横になって寝ても一畳あれば十分だ、それ以上は虚栄にすぎないという教えです。それを知ったから慎ましい生活を実行しているということではありませんけれど、人間の生活というのはその程度でいいと思っているのです。

感謝の気持ちを持ち続ける

――経営は大変にプレッシャーのかかる仕事です。経営者が別荘を所有されたりするのは、ストレス解消という意味もあるのでしょう。それに対して、稲盛さんはストレスをどんなことで解消してこられたのでしょうか。

 ストレス自体をあまり感じないのかもしれません。私の故郷の鹿児島では、薩摩藩の時代に仏教を弾圧したことがありました。その時、鹿児島の田舎の人たちは山の祠に仏壇を隠し、そこで細々と仏を拝んで信仰心を絶やさないできたのです。私が小学校に入る前、父親に連れられて父の田舎の里にある、そんな山の祠に行ったことがあります。

 ちょうど同じくらいの小学校入学前の子どもが四、五人いまして、お坊さんらしき人から「坊やたち、お父さんに連れられてよう来てくれた。さあお参りしなさい」と言われ、仏壇を拝んで「なんまんなんまん、ありがとう」と唱えなさいと教えられました。「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、ありがとう」という意味の鹿児島言葉ですが、何かあった時には必ずそれを唱えて手を合わせて拝みなさいと言われたのです。それを八三歳のいまもずっと続けています。私は天にいらっしゃる神様は全部同一だと思っているものですから、ヨーロッパに行ってもアメリカに行っても、あるいはキリスト教の教会やイスラム教の寺院に入ろうと、必ず両手を合わせて「なんまんなんまん、ありがとう」と唱えています。

 その五つの時の体験以来、森羅万象あらゆるものに感謝するということが習い性になりまして、それは仕事の面でも人間関係でも、常に素晴らしいことだ、ありがたいことだという気持ちにつながっています。若く血気盛んな頃、部下たちを叱ったり厳しいことを言ったりもしましたが、心の中ではいつもありがとうと思っていました。

 ある時、あんなに毎日怒られてよく部下がついていくなと思って、誰かが私にしょっちゅう怒られているある幹部にその理由を尋ねました。するとその人は、「怒られて社長室を出ていこうとして振り返ると、必ず社長がニコッとして『ありがとうね』と言っている。その姿を見ただけで嫌なことが全部消えてしまう」と答えたそうです。自分ではまったく意識していなかったのですが、心の中で「ありがとう」が習い性になっていたのでしょうね。こうした感謝の気持ちを持ち続けてきたことで、いままで大きなストレスを感じないでこられたのかもしれません。

◆稲盛和夫氏へのインタビュー全文は、DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュ ー9月号に掲載されています。

◆関連リンク
稲盛和夫オフィシャルホームページ

http://www.kyocera.co.jp/inamori/