周囲の予想をはるかに上回るスピード再建は、「JALの奇跡」とも、はやし立てられる。だが、それは奇跡などではない。
稲盛和夫がJAL社員の心に「火」をつけ、社員がそれこそ「地味な努力」を積み重ねてきたからこそJALの今日がある。
その稲盛は、当初の言葉通り名誉会長として残るものの、この3月末をもってJALの取締役を退任し、経営の第一線から身を引いた。
連載第3回は、社長の植木義晴に、「稲盛がいなくなった後の、これからのJAL」について、現場社員とともに語ってもらう。(文中敬称略)
(撮影/原 英次郎)
中央集権的な「組織」から
自ら考え、行動する「職場」へ
植木 私たちは「プレパッケージ型」という再生方式を採用させていただいたおかげで、飛行機を一便も止めずに事業を続けることができました。それゆえ、倒産したことが直接感じられないセクションでは、何も変わっていないじゃないかという意識もあった。
稲盛さんがJALに来られて、すぐそのことを感じられた。
「お前ら間違っているぞ、会社は今つぶれているんや。つぶしたのは誰や。人の責任にしているうちは、ここの会社は立ち直らない。全部自分たちの責任や。ここをまず、みんなでしっかりと共有しなさい」と。
そこが改革のスタートですね。
稲盛さんもずっと言い続けているし、社長として僕の一番の目標でもありますが、僕は今までの組織の感覚を変えたかった。
あの中央集権的な組織ではなく、各職場、各現場が自ら考えて、責任を持って行動する、そういう職場に変えていきたいと思っています。
最近、私自身、JALが一番変わったなと感じるのは、そういう芽がいっぱい出始めたことです。JALフィロソフィの言葉で言うと、いろいろな「渦」が、至るところに渦巻いてきている。しかも、現場に近いところで。
これがきっと、いつかひとつの大きな渦になったときが、この会社は確実に再生できたと、言えるときだと思っています。
確実にその渦は出てきていて、地方の支店に行ったり、いろいろな職場を回るときに、そのことを感じるのが、今一番楽しいですね。