勲章は拒否。憲法改正は論外

 1991年に勃発した湾岸戦争の時、“財界の鞍馬天狗”といわれた日本興業銀行元頭取の中山素平はズバリとこう言い切った。

「(自衛隊の)派兵はもちろんのこと、派遣も反対です。憲法改正に至っては論外です。第二次世界大戦であれだけの犠牲を払ったのですから、平和憲法は絶対に厳守すべきだ。そう自らを規定すれば、おのずから日本の役割がはっきりしてくる」

 いま、堂々とこれだけの直言をする財界人はいない。中山は2005年に亡くなったが、その時、共同通信からコメントを求められ、「現今の経営者を10人束ねても、中山さん1人の魅力に及ばない」と答えた。

 皮肉屋だった中山には「サタカ君にほめられてもなあ」と言われただろうが、辛口とレッテルを貼られている私の言葉に偽りはない。

 それどころか、争って首相とメシを食いたがる浅ましい財界人を見ていると、「10人束ねても」を「100人」もしくは「1000人束ねても」と変えたいほどである。

 私が中山に脱帽する第一は勲章の拒否。勲章はもらった奴より、拒否した人間が格段にエライんだと私は言っているが、中山や元外相の伊東正義を挙げれば、それは明らかだろう。『日本経済新聞』の「私の履歴書」の執筆を断り通したというのも痛快である。これも書きたくてたまらない有象無象が絶えないのだから、その精神のダンディズムが光る。

左派的精神を解するゲテモノ好きの経営者

「ミヨさん来る。中山素平君の見舞いのスッポン(大市)持参。妻に中山氏あてのお礼の電報を打って貰おうとして、さて『素平』をなんと読んだらいいか迷う。私たちの間では、ソッペイさんと言っている。一種のアダナだ。まさかナカヤマ・ソッペイサマとは書けない。なお興銀は総裁か頭取か、これも迷う」

 高見順の『闘病日記』(岩波書店)の一節である。これについて、『運を天に任すなんて』(光文社)という中山素平伝を書いた城山三郎は私との対談で、私が「私もびっくりしました。このじいさまはどこにでも顔を出すなと(笑)。しかも、とおりいっぺんの付き合いじゃないんですよね」と言ったのを受けて、「高見順のアパートで雑魚寝するわけでしょう。人のいやがる文士と。よほどだよね」と語っている。

 田中清玄といった黒幕的人物とも平気でつきあって、中山は“財界の鞍馬天狗”の異名をとった。

「文士なんて言ったら要注意。財界、政界、官界は文士を人と思ってないんじゃないですか」と城山は付け加えたが、たしかにそうかもしれない。

 秩序が重んじられるそうした世界にいて、しかし、中山はエリート意識に包まれた寮歌を嫌い、勲章を固辞した。