当時は、すでに自虐史観が浸透し切っていたから、若い人は戦争に行った自分の祖父たちに、「中国で虐殺してきたんだ」「なんて悪い人なんだ」と軽蔑感が芽生え、尊敬しない。祖父たちも、自分がどんな目で見られるかわからないから戦争の話ができない。世代が完全に分断されていた。

 そこで『戦争論』を読むと、若い人たちはものすごく生々しく感じ、戦争を戦った日本軍の感覚にショックを受ける。「自分のじいちゃんは悪い奴じゃなかったんじゃないの」ということで、初めて祖父の戦争体験を聞こうという気持ちになり、両方の世代からどんどん感謝の手紙が寄せられた。

 子どもの世代からは、「祖父が大嫌いで話も聞きたくなかったが、祖父の言うことが分かるようになった」という声が出た。また祖父母の世代からは、「漫画を読んだこともなかったのに、初めて『戦争論』で漫画を読んで、こんなこと描いてくれる人がいるのか、と感激した」という声が出た。つまり、両方の世代を繋げちゃったんだ。

自虐史観を葬ったと思ったら
今度は「エセ保守」が出て来た

 自虐史観を一応は葬ったけれども、今度はそこからネットの時代が本格化する。たとえば、ネットの中の情報だけを集めた韓国を嫌う漫画が出てくる。在日朝鮮人に対する差別、排外主義が生まれてくる。自民党の議員までが、ネットで情報を仕入れるという状態になってくる。

 つまり日本人というのは、船にたとえたら片方に寄ってしまう傾向がある。みんなが左舷に行ったので、沈没しないようにわしは右舷に行った。そうするとみんな右舷にやってきて、また傾いたので、今度はわしが「おかしいよ」と真中に行くと、右に行った奴がわしのことを左翼と呼ぶんだね。なかなか真ん中では止まらない。

 ただ、社会が右傾化していると言っても、これ自体も本当は怪しい。実を言うと、国会で審議している安保法制も完全な「従米化」を意味している。アメリカに従うことが最大の目的。だから安保法制に正確なレッテルを貼ると、「戦争法案」ではなくて「従米法案」。もともとこの法案を夏までに通すとアメリカで約束してきた話で、これ自体が本当は国会を無視したとんでもない問題だ。

 保守というのは、伝統と歴史を大切にする。伝統は歴史の中で先祖の知恵が集積され、醸成されて残ったバランス感覚だ。だから、歴史そのものを、知識として知らなければならない。歴史と伝統を損なったら保守ではない。