1998年に経営破綻した日本長期信用銀行。エリート集団として高い評価を受けていた行員たちは、社会から糾弾され、辛酸をなめることとなった。経営破綻から17年、2000年に新生銀行として再出発してから15年。苦悩の日々を潜り抜け、自ら人生を切り開いた長銀OBの激動の十数年に迫る。(経済ジャーナリスト/宮内健)
42歳にして金融業界からベンチャーへ転身
この「長銀OBのいま」シリーズでこれまでに登場した3人は皆、現在は金融とは別の世界で活躍している人物だった。そろそろ次は、金融業界をずっと歩いている人に話を聞きたい。そこで取材を申し込んだのが武藤健太郎さんである。
武藤さんは1995年に東大工学部から長銀に入社し、デリバティブ商品の開発や評価を担当した後、外資系金融機関でファンドマネージャーや投資銀行業務に従事。りそな銀行への公的資金注入の際に金融庁のアドバイザリーを務めるなど、世の中に大きなインパクトのある案件を手掛けてきたキャリアの持ち主である。
ところが、2014年からアジア全域に展開するM&Aブティックファーム、BDAパートナーズのマネージングディレクターを務める武藤さんにお会いしてみると、「この8月、転職することになりました」という言葉が返ってきた。転職先は金融機関ではなく、2012年に設立されたデジタルヘルスケアのベンチャー企業、フィンク(FiNC)である。
フィンクは栄養士やトレーナーから栄養や運動、メンタル面のサポートを受けられるスマートフォンアプリ「FiNCダイエット家庭教師」を展開している会社で、経営陣に元みずほ銀行常務や元ゴールドマン・サックス証券の幹部といった錚々たるメンバーを迎えていることでも知られる。
金融の世界からベンチャーへという、今年42歳の武藤さんが「かなり悩んだ」末の新たな挑戦。当初の取材意図とは異なる方向になったが、その決断には長銀時代の経験が大きく作用しているように思われた。
面接官は「吸っていいよ」といいながら
自分もタバコを吸い始めた
東大工学部で武藤さんが専攻していたのは応用化学である。多くの学生は大学院に進学するか、研究室の教授の紹介でメーカーやプラント会社などに就職する。そうではなく、金融機関を志望したのはなぜだろうか。
「研究よりもいろんな人と話をするのが好きで、先生が紹介する会社に行きたい気持ちが強いかといえばそうでもなかった。そのころ、興銀(日本興業銀行)に就職した一年上の先輩と話をしたときに、民間企業の立場ながら官僚のような感じで産業を支配し、国策に寄与していると聞いて、銀行って格好いいなと軽い気持ちで志望するようになりました」