社長の役目は営業にあらず人材採用こそが成長のかなめ<br />ライブレボリューション代表取締役社長 増永寛之ライブレボリューション代表取締役社長 増永寛之(撮影:住友一俊)

 モバイル向け広告代理店を主軸とするライブレボリューションは、本業よりも人材採用のユニークさで知られるベンチャー企業だ。

 採用選考は8次まで。そのほかにもOB訪問や座談会など、学生はおよそ半年間、30回ほどもライブレボリューションを訪問する。

 今年度の会社説明会に来る学生の人数は現在までで、およそ1万3000人にも上る。これは大手商社の説明会に来場する学生数をしのぐ人数だ。

 ジョブウェブが調べた「就職活動生が選ぶ魅力的な企業」で2年連続ナンバーワンになるなど、創業わずか10年のベンチャー企業では考えられない人気ぶりだ。

 社長の増永寛之は、「僕は社長だけど、仕事はほとんど採用担当者。優秀な人材さえ採用すれば、事業はひとりでに伸びる」と断言する。

ビットバレーに刺激受け仲間と起業を決意するも
鳴かず飛ばずの5年間

 1999年。大学院を卒業した増永は、両親の反対を押し切って、金融危機に揺れる証券業界に就職した。渋谷支店に配属されたことが、増永の人生を決定的に左右したのは間違いない。

 この年、6月に孫正義がナスダック・ジャパン構想を発表。これに刺激され、年末には東京証券取引所がマザーズ開設を発表するなど、ITバブルが大きく盛り上がった。ギラギラと野望を語るベンチャー経営者たちは渋谷に集結し、「ビットバレー」と呼ばれるブームをつくり出していた。

 ひょんな縁から、GMOインターネット会長兼社長の熊谷正寿など、40人以上ものベンチャー経営者たちと会っていくうちに、ITバブルの熱気に取りつかれた増永は2000年、あっさり大和証券を退職し、仲間5人とライブレボリューションを設立した。

 ところが、最初の意気込みとは裏腹に、5年間は華やかさとは無縁の日々だった。ベンチャーキャピタルを何十社回っても、出資を得られなかったのだ。「日本のアマゾンみたいなeコマースサイトをつくろう!というような、子どもじみた発想でしたから」。増永は当時を振り返って苦笑する。

 3ヵ月間悪戦苦闘した後、諦めた増永は知人の経営者を頼り、その会社の社員寮の一室を住居兼オフィスに使用。増永以外の仲間4人はその会社で仕事をさせてもらい、糊口をしのいだ。

 たまたま、その会社がネットマーケティングを手がけていたため、ノウハウを学んだ増永たちは、ネット広告代理店を本業にしようと思い立つ。