創業80年、伝説の老舗キャバレー、東京・銀座「白いばら」に50年間勤務し、名店長といわれた著者が、お客様のための創意工夫をはじめて明かした『日本一サービスにうるさい街で、古すぎるキャバレーがなぜ愛され続けるのか』から、抜粋してお届けしています。

 名札に出身地を載せるようになってからしばらくして、私は道行く人たちにもお店のウリをアピールする方法はないかと考え始めました。一九七二年、田中角栄による「日本列島改造論」が発表され、札幌オリンピックが開催された年のことです。この頃、銀座には新しい高級クラブが続々とオープンし、売上げが少し落ち込んできたのです。

 そんなある日、一人のお客さまが帰り際にこう言いました。
「北海道の子がいて安心したよ」

 先代社長と私は顔を見合わせました。当時、すでに在籍しているホステスは二〇〇名を超えていて、北は北海道から南は沖縄まで、全国の出身地の子がいました。そこで、この言わば充実した〝品揃え〟を、日本地図に落とし込んでアピールすれば、インパクトのある広告物になると先代社長は考えたのです。

 早速私は銀座一丁目の材木店でベニヤ板を購入し、地図の制作に取りかかりました。ああだこうだと悩みながら、ホステス全員の名前を入れていったら、いびつな形の地図ができあがりました。これが、本書の冒頭でお話しした、白いばらの名物となっている日本地図のディスプレイです。

キャバレー・白いばら名物の<br />「ホステス日本地図」はこうして生まれた<br />

 かなりの大きさになりましたが、何しろ古い建物ですから、釘で簡単に取り付けることができました。

 店の前に突如現れた源氏名入りの日本地図に、ホステスも唖然としていましたが、急ごしらえだったわりには、宣伝効果は抜群でした。

 お店の前を通りがかった人が、「なんてユーモアのあるお店なんだろう」と、面白がって飛び込みで入ってくれるようになりました。お店選びに迷っている出張中の方が、「故郷の子がいるなら安心できそう」という理由で扉を叩いてくれることが増えました。また、単身赴任中の方が寂しさを紛らわすのに、同郷のホステスを指名しに来店されることも多くなりました。

 もう一つ予期せぬ効果がありました。お客さまには、奥さまや彼女の手前、ホステスの名刺を持ち帰れない方もいます。そのため、次回来店した時にホステスの名前を忘れてしまっていて、同じ子を指名したくてもできないことがよくありました。

 でも、たいてい出身地は記憶に残っているんですね。「たしか、○○県出身の子……」と地図上の名前を見て思い出し、指名をいただけることが増えたのです。さらに、同じ出身のホステスがいるとわかって安心するのか、地方出身の応募者が増えました。

 そして、三年後の一九七五年には、白いばらは入場者数のピークを迎えます。連日満員札止め。店の前に行列ができることもありました。

 平成に入ると、レトロブームに乗って、「手作りの日本地図がある昔ながらのグランドキャバレー」として、テレビや雑誌で頻繁に取り上げられるようになりました。一昔前は、「地方出身者は訛っているうえ、純朴すぎてサービス業には不向き」と言われたものです。そんな偏見から、ちょっとミスしただけで、お客さまから「この田舎者!」と、罵声を浴びせられることもありました。

 でも、この地図によって、地方の出身であることを「白いばら名物の田舎もんです!」と、逆手に取ることができるようになったのです。