「議論してはいけない病」の3つの原因

 なぜ、そのようなことが起こるのか。理由は大きく3つある。

 まず、議論をしたり、検討会のようなものをすること自体が、“安全ではない”“未来は(本当は)明るくない”という証拠として、外部・内部からの批判対象となるからだ。特に内部では、派閥・権力闘争などとも関係して、深刻な問題になりがちである。

 2つ目は、社内の士気にかかわるという点。「絶対に大丈夫!」と言えるからこそ現場に力が出るのであって、懐疑的な雰囲気が少しでもあれば成功しないのではないかという懐疑を生む。人間にはゼロリスク願望があり、「リスクはゼロでないと嫌だ」と思いがちだ。特に営業部長が「弱気な雰囲気を少しでも見せたら、力が出ない」と言いがちなのは、このためだろう。センスのいい会社であれば、「(疑問をさしはさんだり、疑問解消へ動くことは)やってもいいけれど、隠れてわからないようにやって」ということになるが、普通の会社ならばまず封殺される。

 3つ目は、先ほどの大蔵省の話のように、理由の1つ目と2つ目の結果、悪影響が出る可能性があるが、「うまくいかなかったら責任をとらされるのは俺だ、だから余計なことを言うな!」という本音があるからである。

 つまり、このような具合に、「本当に安全なのか」「この戦略でいいのか」と懐疑的に思ったとしても、そうした意見や議論は封殺されてしまうのだ。

病にかかった企業、かからなかった企業の差

 昔の話だが、あるサービス系企業のオーナー経営者が「我が社のユーザーはうちの商品が好きで、あえて選んでくれるのだから、他社のサービスとの併用などありえない!!」と会議で怒鳴り散らした。するとその翌日から、他の企業のサービスと併用している3分の1超のユーザーが存在しないことになってしまった。すなわち、トップの一声でお客様全員が、“我が社だけを選んでいる”ことになったのである。

 こうなってしまうと、あらゆるデータが他社と併用していない前提で作られてしまうため、おかしいことだらけで戦略をまともに組み立てられなくなる。経営会議の議論も嘘っぱちである。あり得ない前提からありえない数字を実現する方法を考えなければならず、現場は苦労に苦労を強いられることになった。これは極端な例だが、特定の方向性にそってデータを恣意的にねつ造させられることはよくある話だ。