率直に言って西部邁は敵対する人だった。いや、いまでも思想的に対立するところはある。そこに着目してCS放送「朝日ニュースター」が「学問のすゝめ」という対談番組を企画し、2009年の春から、それはスタートした。毎週土曜午後9時から約1時間。最初に思想家、次に本、そして映画を論じて3年続いた。かなり熱心なファンもいて、『思想放談』(朝日新聞社)以下、6冊の本になっている。

 謳い文句には「保守・リベラルを代表する論客」とあるが、要するに右と左の激突を期待したのだろう。確かに西部と私は対立的な形で並ばされてきた。

 たとえば、2000年の11月15日に参議院の憲法調査会で参考人として話した時、改憲賛成派が西部で、反対派が私だった。その時はそれぞれが意見を述べ、調査会の議員たちがそれぞれに質問するということだったので、直接討論はなかったが、新聞や雑誌で賛成と反対のコメントを並べられるといったことも何度かあった。そして遂にロングランの直接対決となったわけである。

「サタカ君を左翼にしておくのは惜しい」

 私が西部と初めて会ったのは、1994年の10月20日である。徳間書店が出していた月刊誌『サンサーラ』の対談のホストをしていた私は、1995年1月号掲載の相手に西部を頼んだ。

 西部は編集者に、「それはサタカの意志か」と尋ねたらしい。

 そんな経緯もあって実現したのだが、私が西部に、「西部さんのようなお寺の子どもにとって、宗教は信仰ではなく生活ですよね」と問いかけたあたりから緊張がほぐれた記憶がある。西部が頷いてくれたからである。

 それから15年。日本と世界の思想家について1回ずつ語ることにした「学問のすゝめ」では、最初の福沢諭吉からニーチェ、夏目漱石など関心をもつ思想家が重なっているのに驚いた。番外的に取り上げた美空ひばりでは好きな歌まで同じである。それで一緒にカラオケに行ったりしたのだが、まもなく、西部はしばしば、「サタカ君を左翼にしておくのは惜しい」と私を冷やかし、私も、「西部さんは保守にしておくのは惜しい」と笑って返すようになる。

 私がサヨクかどうかは別にしてもである。

 思想的には真反対だといわれている西部と私が、嗜好的にはよく似ているのだなと思ったのは、黒澤明について話していた時だった。