左派系ジャーナリストを口説く
産経新聞社長
辺見庸と言えば、左派系のジャーナリストで、とても『産経新聞』寄りではない。しかし、その辺見を『産経』の社長だった住田良能が熱心に入社を誘ったと聞いて私は驚いた。
辺見と私の対話『絶望という抵抗』(金曜日)で辺見はそれを明かしたのだが、「住田さんの誘い方には熱がこもっていて、いまでもよく覚えています。当時の産経は、やはり右寄りなんだけど、たとえば中国当局にべったりだった朝日とは違う独自の報道もしていた」と辺見は語り、「ぼくが中国で国外退去処分を受けて帰国したとき、ぼくの話をきちんと聞き、特集を組んだのは産経だけだったんです。朝日は新華社の引用ばかり」と続けた。
辺見は共同通信の北京特派員として、1987年に胡耀邦総書記の辞任に関する機密文書をスクープして追放されることになったのだが、結局、辺見は住田の誘いを断る。
「ぼくは古い人間で、会社を替えることには抵抗があったんです。だから断りました。でも住田さんには右左というイデオロギーとは違った次元で、ジャーナリストとしてのパッションを感じていましたし、人間的な魅力もありました。待遇は産経より共同のほうがいいわけです。なのに、共同で記者をしているぼくに『うちに来い』と言うくらいだから、住田さんはぼくを組織人ではなく個として見ていた。つまり、サシでやる気なんです。ぼくのような組織からはみ出す個に対しても、美意識からくる共感があったと思います。ただし、はっきり言っておきますが、最近の産経はダメです。危険な極右紙です。あれじゃ」