千畝は、それからほぼ1ヵ月後に日独伊三国軍事同盟を結ぼうとしていた外務大臣の松岡洋右に、ビザ発給の許可を求める電報を打った。外務省きってのロシア通だった千畝は直通のルートを持っていた。

 もちろん、外務省の反応は否である。それでもまた、許可を求めてくる千畝について、外務省の幹部の間では、こんな会話も交わされていた。

 「杉原君は、ユダヤ人を助けようとしているのじゃないだろうな」
 「まさか。彼もそこまではやるまいよ。外務省と軍部の関係は、だれよりも彼がよく知っているはずじゃないか」
 「でも、万一ってことがあるからね」
 「どうかねぇ。リトアニアはドイツの目と鼻の先だ。そんなところでかい?」
 「そうだな。ドイツのあの破竹の勢いを直接感じているのは、われわれより杉原君のほうだからな。何も好んでドイツの癇にさわるようなまねをするわけはない」
 「今は、松岡さんが三国同盟を結ぶためにがんばっておる。彼は外交官なら、そんなことができるわけがないよ」

 杉原のことを書いた篠輝久の子ども向けの本、『約束の国への長い旅』(リブリオ出版)に引いてある会話だが、杉原のことをよく知る人は、しかし、こう言っていた。

「君たちは、杉原君のことをわかっていないな。彼は、殺されかかっているユダヤ人の子どもを放っておけるような男じゃないよ。ことによると、彼はやるかもしれん……」

 とはいえ、杉原夫妻の懊悩は続いた。そして遂に、千畝は外務省の命令に背いてビザを出す決心をする。

「いいだろう?」と確認する夫に、妻は強く頷いた。「あとで私たちはどうなるかわかりませんが、そうして下さい」

 千畝は外務省をやめさせられることも覚悟していた。

「いざとなれば、ロシア語で食べていくぐらいはできるだろう」

 不安をまぎらすようにつぶやいた言葉を幸子は聞いている。

「ここに100人の人がいたとしても、私たちのようにユダヤ人を助けようとは考えないだろうね。それでも、私たちはやろうか」

 幸子が書いた『六千人の命のビザ』(朝日ソノラマ)によれば、千畝はさらに、幸子の顔を正視して、こう念を押したという。