2つめは、会社が成長し、ポストが増えていく時期だったため、限られたポストを奪い合う必要がなかった。そのため、若いころから無理矢理に差をつける必要もなく、ましてや市場価値とかに惑わされることもなく、短期的、個人的な成果に拘泥せずに、会社の成功に向けて思い切り仕事に取り組んでいける環境があったことである。その結果、個人としても伸び伸び育った。

 3つめが、もっとも大きな違いだろう。企業名や立場、肩書きがそのまま社会的な評価につながったことだ。良くも悪くも、会社の成長が自分の社会的評価に直結したから、会社の成功を第一義にして成果があがれば、自分にもそのまま帰ってくる状況にあったのだ。

 そのため、

・「自分のため」ではなく全体の目標達成のために、与えられた役割を全力で遂行する
・損な役回りをも望まない異動も嫌がらずに引き受ける
・無理に目立とうとせず、滅私奉公的に業務にあたる
・必要な情報を惜しみなく提供し、まわりをサポートする

 という、「ちゃんとした人たち」が育った。

 孫子では、

「故に、進みて名を求めず、退きて罪を避けず、唯だ民を是れ保ちて、利を主に合わせるものは、国の宝なり」(和訳:それゆえ、進撃にあたっては個人的栄誉を求めず、後退活動にあたっては懲罰の回避を露とも念頭に置くことなく、ただただ国民の保護と君主の最高利益のために奉仕することを目的とする将軍は、国の宝である)

 と将軍論を展開しているのだが、こういった役員たちは、まさに企業の宝たる存在であったのだ。

 彼らは、常に「会社」主語で語り、セコいところがなく、おまけに高い能力・スキルも持ち合わせている。嫌味ではなく、素直に素晴らしい人たちだ。しかし、逆に言えば、あまり「個人」がなく、世慣れた小賢しさもなく、きわめてまともな常識人であるとも言える。