応募要項で、日本らしさと、木材を使うという項目が再三ありましたので、B案でも柱に木材を使う計画でした。いろいろと考えた挙句、我々は柱に木材を使うことにしたんです。直径1メートル30~50センチメートルの巨大な柱なんですが、火災になった時に耐火性能がある特殊な木材の外側を「1次耐久層」という別の木材で囲いました。この部分は、変色しても削れば色は元通りになります。この柱には満身の力を込めて計画しました。

 竹中工務店さんの設計部のみなさんも非常に優秀で、コンペでこれ程がんばることができたチームの経験はありません。日本設計さんも、特にユニバーサルデザインの取り組みに力を入れてくれました。パース(鳥瞰)図を1枚描くのにも何度もヘリコプターを飛ばして、力を入れたつもりなんですが、残念ですね。

――当初のザハ案に対しても、伊東さんは批判しておられました。どうした点が問題だと考えましたか。

 ザハの建築は世界的に、どこでやっても同じデザインの繰り返しです。特に今回、神宮には外苑と内苑の二つの森がある。明治神宮ができてから100年間、開発やグローバル経済から守られてきた。これからもどう守っていくか。それこそが日本らしさだと私は考えましたが、ザハ案はそれを全くないがしろにする、そのような歴史認識が全くない計画でした。

 そこにまでグローバリズムが入り込むのか、という印象が、非常にまずいと思いました。まだお台場ならよかったかもしれない。遠くから眺められる場所にあればよかったかもしれないですが、あれだけ余裕がない場所ですからね。

 例えば、自宅の周りを朝散歩していると、建築の専門家ではない近所のおばさんたちが声をかけてきて「あれ(ザハ案)だけは絶対にやらないでほしい、先生がんばってくださいね」とよく言われました。お金がいくらかかるかというより、感覚的な問題ですね。そこには、明治神宮にあんなものを造られてたまるか、という思いもあったのだと思います。

――ザハ案がゴタゴタの挙句、昨年7月に白紙撤回が決まるまでの経緯については、どのようにお考えですか。

 それは、今回A案に決まったコンペも含めてですが、事業主体であるJSCと、その上にいる文部科学省の透明性に欠ける姿勢が問題だと思います。

Photo by Toshiaki Usami

 特に白紙撤回の決定は、外部に諮ることなく決まった。その1年前から我々は、既存の競技場の改修なら工期も短く、お金もかからないと訴え、森喜朗・東京五輪組織委員会会長と下村博文文部科学相(当時)、JSCの河野一郎理事長(同)にレターを出しましたが、なしのつぶて。随分後に、河野さんから形式的な返事があった程度です。

 もっと早く議論してもらえれば、白紙撤回ももっと早くできたかもしれない。経緯の非公開性は、ずっと疑問であり続けています。ちょっとひどすぎますね。今回も同様の批判があるとすれば、それだけ彼らの体質が変わっていないということでしょう。