清原容疑者以上に“真っ黒”だった
江夏豊氏のスピード復活

 どういうことか、江夏豊氏のケースでご説明しよう。

「優勝請負人」などと呼ばれ、球界のスーパースターだった江夏氏が覚せい剤取締法違法で逮捕されたのは1993年3月16日、日本ハムの臨時コーチを終えた4日後であり、球界と距離をとっていた清原容疑者と比較にならないほど、社会に大きな衝撃を与えた。

 誰もが認める超一流選手でありながらも、黒い噂が絶えなかったという事件当時のイメージから、清原容疑者と重ねるメディアも多い。2014年のキャンプで、江夏氏が古巣である阪神の臨時コーチに就任したことで、「あの江夏でさえ球界復帰まで20年かかった」という論調も目立つが、実は江夏氏の「野球人」としての「復活」というのは、槙原氏に負けず劣らず順調におこなわれている。

 江夏氏は押収量の多さと、常用性から初犯にもかかわらず、執行猶予なしの2年4ヵ月の実刑判決を受けた。そう聞くと、かなり社会復帰に手間取ったのではないかと思うかもしれないが、仮釈放された1ヵ月後の1995年6月には文化放送のラジオに出演し、野球の論評をおこなっている。

 また、ほどなくスポーツ紙の連載がスタートし、デイリースポーツでは専属野球評論家となった。その後も多くの野球関連書籍を執筆するなど精力的に「野球」に関わっている。

 つまり、確かにプロ野球指導者としての復帰には20年以上かかっているものの、実質的に事件から2年半ほどで一野球人としての「復活」を果たしていたというわけだ。

 これは「20世紀最高の投手の一人」とうたわれた江夏氏の実績、経験に裏打ちされた鋭い論評を多くの野球ファンが暖かく迎え入れたということもあるが、ここまでスムーズに社会復帰が成功したのは、「発言力・影響力のある応援団」の力添えが大きい。

 江夏氏の公判では当時、参議院議員だった江本孟紀氏のほか、恩師である野村克也氏も証人として情状酌量を訴えた。減刑を求める嘆願書には、現役選手20名を含めた3767名が署名。出所後も、田淵幸一氏、掛布雅之氏が激励。「除名処分すべきでは」と声があがった名球会では、王貞治氏も長嶋茂雄氏も「待ってほしい」と声をそろえたという。

 この強力な「応援団」が江夏氏の心の支えになったのは間違いないが、実はそれ以上に「社会的信用の向上」という効果があった側面もある。