路地裏を潰し道路や上下水道を整備して、パリが得たもの

 上下水道の整備とも相まって、伝染病(コレラやペストなど)の発生は大幅に減り、シテ島は復活し、中心地には富裕層が戻りました。ボン・マルシェ百貨店に続いて、オ・プランタンなども生まれ、「女性が買い物を楽しむ」という新しい習慣が生まれました。

ボン・マルシェ百貨店「1887年のボン・マルシェ」 Photo by PRA

 オスマンは同時に、建築家ルイ・ヴィスコンティにルーブル宮殿を拡充させ、当時無名のガルニエには旧オペラ座建設を任せました。種々の建築法規を整備し、街並みの高さ制限を設けました。

今、世界に賞賛されるパリの「歴史的」街並みは、実はこの頃オスマンとナポレオン3世によって生み出された、極めて人為的で近代的なものなのです。

 一見不便にすら見える12叉路の巨大な交差点、エトワール凱旋門。これこそ究極の便利さ(物流道路としての)を求めたヒトの意志力の象徴と言えるでしょう。

都市改造力が欠如している日本

 翻って日本はどうでしょうか。平城京、平安京、鎌倉、江戸、と歴史的に見て日本人は新しい都市の建設には成功してきたのかもしれません。

 しかし、都市の「改造」は、ダメです。

 先進国の首都中で東京ほど資源をムダにしている都市はありません。平和でありながら、渋滞や混雑などヒトに時間の無駄や精神の負担をこれほど強いる都市は、他のどこにもないでしょう。

 東京都心4区の道路率(道路が全市街地に占める面積)はわずか23%、ニューヨーク・マンハッタン地区のそれは38%。確かにマンハッタンの方が、道路が多くて効率的です。しかし問題はこの数字の差にはありません。問題は、「路地裏比率」の圧倒的な差にあります。