稲盛和夫が語った起業の「原点」とは――。京セラとKDDIという2つの世界的大企業を創業し、JAL再建の陣頭指揮を執った「経営の父」稲盛和夫氏。その経営哲学やマネジメント手法は世界中に信奉者を持つ。
『稲盛和夫経営講演選集』(第1~3巻)『稲盛和夫経営講演選集』(第4~6巻)発刊を記念し、従業員のモチベーションを上げるための考え方について語った貴重な講演録を掲載する。
名もない頃の京セラを支えた社員は
四〇年後、何を言ったか?
『稲盛和夫オフィシャルサイト』
信頼していた従業員が会社を辞めてしまうということがあります。そのようなことが、経営者にとって一番悲しいことです。「この人こそは」と思って期待し信頼し、一定の仕事を任せていた人間が、いとも簡単に辞めていってしまう。
社長としては、まるで自分を否定されてしまったような思いさえいたします。「こいつは、今後も会社を支えてくれる」とあてにし、目をかけていた人が、会社を見限って去っていく。それは、真剣に日々経営にあたっている経営者ほど、寂しくやるせない思いがするはずです。
そのようなみじめな思いをしないよう、いやむしろ従業員との強い絆に気づき、経営者として心から感動できるくらいの、心と心で結ばれた人間関係をつくっていくことに、何としても努めていかなければなりません。
KDDIが五周年を迎えた二〇〇五年頃のことですが、次のようなことがありました。
京セラがまだ零細企業であったときに入社し、懸命に働いてくれ、その後KDDIに出向し、経営幹部として定年を迎えた、京セラやKDDIの発展に功労のあった人たち四、五人が集まり、私たち夫婦を旅行に招待してくれました。
ゴルフをし、旅館で一泊するというスケジュールでしたが、夜に謝恩会を催したいと言うので、お受けして、お酒を飲みながら、みんなとしみじみ話していたのです。
そのとき私は、彼らに次のように言いました。「名もない京都の零細企業であった京セラに、みんな入社してくれた。当時、大学を卒業しながら、零細企業の京セラに入ったということは、よほど他に行くところがなかったのではないか。『割れ鍋に綴じ蓋』というように、当時の京セラに似合った者しか集まってこなかったはずだ。そんな出来損ないの連中が集まり、懸命にがんばって、今日の京セラになった」
そのように話したところ、彼らが言うには、やはり当時は、「京都セラミックなどという会社は聞いたことがない。その会社は大丈夫なのか。もう少しマシな会社に行ったほうがいいのではないか」と、友だちや家族から、真顔で心配されたそうです。