稲盛和夫が語った起業の「原点」とは――。京セラとKDDIという2つの世界的大企業を創業し、JAL再建の陣頭指揮を執った「経営の父」稲盛和夫氏。その経営哲学やマネジメント手法は世界中に信奉者を持つ。
『稲盛和夫経営講演選集』(第1~3巻)『稲盛和夫経営講演選集』(第4~6巻)発刊を記念し、「経営者が大切にすべきもの」について語った貴重な講演録を掲載する。
初年度、300万の利益が出た。
しかし……
京セラの創業期を思い返してみたいと思います。創業初年度の売上高は約二六〇〇万円、経常利益は約三〇〇万円でした。経営の経験も知識もなく、企業経営に携わり、初年度の決算で利益率が一〇%を超え、約三〇〇万円の利益が出たことを聞いて、私はことのほか喜んだことを記憶しています。それは、私を信じて会社を設立してくださった方への借金を返すことができるからでした。
『稲盛和夫オフィシャルサイト』
実は、私を見込んで支援してくださった方の一人が、ご自分の家屋敷を担保に入れて銀行から一〇〇〇万円を借りてくださり、京セラはそれを創業資金としてスタートしました。「縁もゆかりもない私にそこまでしてくださる支援者の方に、万が一にも迷惑をかけてはならない。一刻も早く借金を返済しなければならない」という思いが、私を責め続けたのです。
私自身の生来の性格もありました。私の父親は他人様から借金することを大いに嫌いました。戦前で私がまだ小さい頃、父親は印刷屋を営んでいました。大きな印刷機械があり、従業員も雇用し、田舎では成功者の部類であったと思います。しかし、第二次世界大戦の空襲で家や工場が灰燼に帰した後は、しばらく放心状態となり、戦後は二度と印刷屋を再開しませんでした。
いくら家族が促しても、「こんなインフレの時代に借金をして、七人もいる子どもを飢えさせてはたいへんだ」と、一向に動こうとはしませんでした。そんな慎重居士の父親の血を引いているのか、私も借金を極端に恐れていたのです。
その上、技術者上がりで経営の経験や知識もなく、当初は税金の存在にさえ気づかなかった私は、初年度に約三〇〇万円の利益が出たと聞いたときに、「それだけの利益が残るなら、一〇〇〇万円の借金は三年で返せる」と喜んでいました。
しかし、当然のことながら、税金を払えば利益は半分ほどしか残らず、さらに株主への配当や役員報酬を払えば一〇〇万円程度しか残りません。それでは、一〇〇〇万円の借金を返済するまでには一〇年もかかってしまいます。古い製造設備を何とか工夫して使っている中で、いずれ新たな設備投資もしなければなりません。
しかし、創業当初の借金の返済にすら一〇年間もかかってしまうのであれば、新たな設備投資は見込めないと考えた私は愕然としました。そこで、先ほどの支援者の方に、「こんなことをしていたら、会社が大きくなるわけがありません。一〇年もかけて銀行融資を返済した頃には、今の製造設備は完全に陳腐化しています。いや、技術の進歩を考えれば一〇年ももたないでしょう。会社が将来どうなっていくか、まったくわからなくなってしまいました」と相談をしたのです。