稲盛和夫が語った起業の「原点」とは――。京セラとKDDIという2つの世界的大企業を創業し、JAL再建の陣頭指揮を執った「経営の父」稲盛和夫氏。その経営哲学やマネジメント手法は世界中に信奉者を持つ。
『稲盛和夫経営講演選集』(第1~3巻)『稲盛和夫経営講演選集』(第4~6巻)発刊を記念し、「京セラ会計学」が生まれた背景について語った貴重な講演録を掲載する。
貸借対照表を初めて見るところから始めた
『稲盛和夫オフィシャルサイト』
一九五九年に、支援してくださる方々のご厚意により京セラを設立したとき、まだ二七歳の技術者であった私に、経営の経験や知識はありませんでした。
それでも、その前に勤めていた会社で、私は製品の開発から事業化までを担当していましたので、製品を開発すること、製品を生産すること、そして製品をマーケットで売ることという、企業経営の三つのファンクションについては、何とかできるだろうと考えていました。
しかし、「会計」については何も知りません。初めて貸借対照表というものを見て、右手の貸方に「資本金」というお金があり、左手の借方にも「現金・預金」というお金がある。そこで「お金が二手にわかれて、両側にある」ぐらいに考えていたほどです。
そんな私でありましたが、社員たちは、あらゆる事柄について、私に判断を仰いできます。また、京セラは生まれたばかりの零細企業でしたので、一つでも判断を間違えば、すぐに会社は傾いてしまうかもしれません。私は何を基準に判断すべきなのか、夜も眠れないほど悩んでいました。
そして、経営の知識や経験はないのだから、すべての事柄について「人間として何が正しいのか」と問い、「正しいことを正しいままに貫いていく」ことを決心しました。
自分にも理解できる、両親や学校の先生から幼いときに教わったプリミティブな倫理観に照らし、すべての物事を判断することにしたのです。そうすれば、経営の知識や経験がなくとも、そう誤った判断をすることはないだろうと考えたのです。
そうして、いわゆる原理原則に基づいた判断基準を自分の中に確立し、振り返ってみると、経営の常識にとらわれることがなかったことが、むしろ幸いであったかと思います。と言いますのは、物事をその本質からとらえることができるようになったからです。
「会計」についても同様でした。常に物事の本質に立ち返って考えるようにしていたので、会計上の案件について、納得できないことがあれば、すぐに経理の担当者から詳しく説明をしてもらうようにしました。
しかし、私が知りたかったのは、会計や税務の教科書的な説明ではなく、会計の本質とそこに働く原理であったのですが、往々にして、経理の担当者からは、そのような回答を得ることができませんでした。
経理の専門家から「会計的にはこのようになる」と言われても、日々経営に呻吟する私にはどうしても腑に落ちず、「それはなぜか?」と、納得できるまで質問を重ねていきました。