「天つゆ」と「丼つゆ」

 天兵の天丼にかかっているたれを丼つゆと呼ぶ。高級天ぷら屋でさえ、丼つゆは天つゆを煮詰めて作っているところがほとんどだ。ところが、天兵は丼つゆと天つゆはまったく別に作る。

「どちらも、だしを取って、醤油、みりんなどを入れるのですが、丼つゆは創業した年(昭和15年)からの丼つゆを足して作ります。さらに、週に一度はそれをきれいに濾しています。そうすることで、色は濃いけれど、しょっぱくない丼つゆになるのです」

 このように天兵は丼つゆ、天つゆは自家製だ。おしんこもラッキョウも自家製だ。味噌汁は作り置きしない。人数分をその都度、作る。みそ汁の具は豆腐となめこ。シジミではない。定食屋、とんかつ屋でシジミを使うところが多いのはシジミの味噌汁はだしを取る手間がいらず、さらに作り置きができるからだ。

 そして、油は、かや油というオリーブに似た実の高級油を使っている。てんぷら専門店とは本来、そういう仕事をする店だ。冷凍の魚介をサラダ油で揚げて、塩やレモンで食べさせる店は天ぷら専門店とは呼ばない。

「あかり丼」が食べたい

 もうひとつ、いま、飲食店でなかなか見られなくなった風景がここにはある。前述のように店舗の上に家族が住んでいるから、時々、店のなかに井上のひとり娘、あかりちゃんがあらわれる。まだ2歳。小さいからお手伝いはできないが、人懐こくて、よく笑う。それだけでハードデイズを過ごしているビジネスパーソンは癒される。

「うちの娘は天ぷらが好きです。キス、えび、かぼちゃが好物で、キス、キス、キスと言ってます。そうですね。ご飯は成人女性と同じ量を食べます」

 店では出さないけれど、「あかり丼」と呼ばれる天丼がある。ご飯は普通の量だ。天タネはキス1匹プラス半身、芝えび、かぼちゃの3つである。かぼちゃをのぞいて江戸前だ。あかりちゃんのリクエストでできた天丼である。それにしても、数ある天タネからキスと芝えびを選ぶなんて、彼女は食通だ。

 天兵は食通の2歳が時々、あらわれる店でもある。 


「天兵 (てんぺい)」

◆住所
東京都千代田区神田須田町1-2
※地下鉄丸ノ内線・淡路町駅から徒歩1分
◆電話
03-3256-5788
◆営業時間
11:30~14:00、17:30~21:00
土日祝休み