幼児教育の真骨頂と「生きる基本」

 働きかけの結果がいつ出るかわからない、役に立ったかどうかわからない働きかけこそ、親にしかできない幼児教育の真骨頂です。

 まずは、親自身がよいと信じる感性をわが子に刷り込んでください。

 きついにおいや刺激臭はなるべく避け、家の中にその発生源を置かないように心がけましょう。

 くさいにおいは、すぐ言葉に出ます。

「オナラしたの、ごめんなさい、と言いなさい」

 と、しつけることはありますが、

「ちょっといつもと違うにおいね。おなか痛くない?」

 と、発酵しすぎたにおいを教えることもできたら、お子さんは客観的な認知能力が持てるようになります。

 未体験のにおいに敏感になり、そのことでまわりの環境をチェックすることを、いち早くできる能力も身につきます。

危険察知力をきたえるためには、目で見て、耳に入り、知るまでに時間がかかります。

 子どもの目に留まらなければわかりませんし、耳で聞き漏らしてもわかりません。

 空気の流れを皮ふで感じ、わずかなにおいに異常を知る――これがよいことなら、時間がかかっても問題はありません。でも、悪いことが起こりそうなときは、早く知るにこしたことはありません。

 私の息子が小学生のころ、「そろそろ弁当、においだしたよ」と、夏になると教えてくれました。

「おかずにあやしいの入れたから、気をつけてね」

 と言えば、息子はにおいを嗅いで、口に入れる前に手をつけるか、つけないかのチェックもしました。

 小学生くらいになれば、それが普通だと思っていましたが、親がつくった弁当だから、学校の給食だから、お店のものだからと何の疑いもなくそのまま食べて気持ち悪くなり、吐いた子の話を聞くと、幼児からの嗅覚、味覚への働きかけは多すぎるということはありません。

 学校に通いだすと、親の手から離れる時間が長くなります。

 その間をうまくすごしてもらうには、就学までに「生きる基本」を身につけさせるための手間を、惜しんではならないのです。

 人として持って生まれた感覚の1つを失うと、生き方を大きく変えざるをえません。嗅覚といえども、その例に漏れません。
生まれながら正常に備わった感覚器官を、心身とともに発達させるべきです。

≪競博士のひと言≫
 嗅覚は、においを嗅いで経験しないとわかるようにはなりません。
とにかく、いろいろなにおいを経験させることです。
 においを感じる感覚器(嗅<きゅう>細胞)は、鼻の奥の天井にあるので、嗅ぐために意識して息を吸わなければなりません。
 嗅細胞は脳の中の「嗅球(きゅうきゅう)」につながり、その後、においの最高中枢、前頭前野の下方部分(味覚野<前頭眼窩回>)の後部につながって、ここでにおいを認識します。