なぜ政治家は「本業」を忘れるのか
「政治屋ビジネス」にハマる理由

 数々の民間企業の経営改革に携わった目で政治の現場や裏側を見てきた経験から、「政治とカネ」の不祥事を起こす政治家たちは「政治家のビジネスモデル」を捻じ曲げ、独自の「政治“屋”のビジネスモデル」を確立している、というのが筆者の持論だ。

 政治家という職業をビジネスの業種で分類すれば、「サービス業」に分類されるだろう。「国をこうしたい」という政治理念に基き、具体的な政策や改革プランといった「商品」を提示し、「顧客」である主権者(有権者や選挙区外の人、未成年者などの選挙権がない人も含む)に提供する。その対価として、政治家は税金からお金をもらう。

 政治家の生殺与奪の権利を持っているのは「有権者」である。多くの政治家は選挙区を持つ。舛添都知事なら東京都民だし、甘利元大臣なら神奈川県の大和市、海老名市、座間市、綾瀬市であり、筆者自身も兵庫県の加古川市、高砂市、加古郡の方々の投票によって落選している。民間企業で経営陣が株主から経営を付託されるのと同じく、政治家は選挙で有権者から信託を受けて、政治を行っているのである。

 もちろん、政策は政治家が単独でつくり出せるものではない。政策を考えるために情報提供してくれる人や、企業や団体がいる。ビジネス風に言えば、これらは商品の原材料を提供してくれる「サプライヤー」ということになるだろう。

 そして、政治家は常に競争にさらされている。きちんと仕事をしていなければ、他政党の政治家に議席を奪われたり、同じ党内でも新しい候補に差し替えられたりするリスクと常に向き合っており、この競争原理が政治家にプレッシャーを与えるのだ。

 これが政治家の本来のビジネスモデルである。ところが、このモデルには致命的な欠陥がいくつかある。

 まず、政治家に対して支払われるお金の原資は、強制的に徴収される「税」によって賄われている、ということだ。強制的に徴収されるため、納税者は「こんな政府にお金を払いたくない」という拒否権が認められないことになる。すると、政治家は「商品(政策)」の質にかかわらず、とりあえず「株主」のご機嫌だけをうかがっていれば(有権者対策)、議員であり続けることができることになる。

 お客様を顧みず、株主対策ばかりしている企業はいずれ市場から淘汰されるのと同様、本来そんなダメ政治家は落選させたらいいのであるが、政党政治が根付いていることもあり、有権者には政治家個人を選択する術がない。たとえば、舛添都知事も自公が応援した時点で勝利は既に決まっていたようなものだった。

 言い換えれば、「選挙」という制度が政治家個人の資質や業績に対する評価になっていない、という致命的な問題がある。何万人もの人が1人の政治家を選ぶという制度自体が、無茶なのである。政党による選択や原発や安保といった特定の政策への姿勢のみで候補者を選ぶ傾向が強まっているため、個々人の資質はほとんど関係なくなってしまったのだ。

 しかも、有権者の投票基準は、単なる政党の勢いやキャッチコピー、ポスターの写真映りや候補者の学歴・職歴・知名度などに頼らざるを得ない。その結果として、競合との競争は「サービスの質」ではなく、より有権者に訴求しやすいスキャンダルの暴き合いや、地元での露出度合戦に陥ってしまうのである。

 これこそが、政治の世界から「政治とカネ」やスキャンダルが絶えない本質的な理由であり、すべては「政治屋ビジネスモデル」に陥った結果なのだ。そして、その理由は、政治家をきちんと評価する仕組みが存在しないことや、有権者が政治家の「成果」に無頓着であることに終始する。選挙の後に叩くのではなく、選挙の前に『週刊文春』にお金を払って調査・報道してもらうというのはどうか。