「人類全体」を主語に据えたオバマ演説

 ちなみに広島市も日本政府も、一貫して米国には謝罪を求めたことはない。

 日本政府は2007年7月に、鈴木宗男衆議院議員による「第二次世界大戦が終結して以来、政府は米政府に対して我が国に対する原子爆弾投下について抗議を行ったか」との質問に対して、安倍首相が「米国政府に直接抗議を行ったことは確認されていない」と答えている。さらに「米国による原子爆弾の投下に対する政府の見解」については、「戦後60年以上を経た現時点において米国に対し抗議を行うよりも、政府としては、人類に多大な惨禍をもたらし得る核兵器が将来二度と使用されるようなことがないよう、核兵器のない平和で安全な世界の実現を目指して、現実的かつ着実な核軍縮努力を積み重ねていくことが重要であると考える」と答弁し、閣議決定している。

 日本側に謝罪を求める動きがない以上、そもそも今回、米国側が謝罪の言葉を発する可能性は薄かったわけで、それを今回のオバマ大統領の広島訪問と発言の焦点とするのは無理があった。

 なにより「朝日新聞」が被爆者164人に行ったメールアンケートでは、「原爆投下について、オバマ大統領に謝罪を求めるか」を問うたところ、6割が「求めない」と回答している(同紙5月7日付)。その理由や思いは人ぞれぞれだろうが、米国から謝罪の言葉を得ることが国を挙げて、どころか被爆者の総意ですらないことは明らかだ。

 それより今回、オバマ大統領は分刻みのスケジュールの中で、急遽、10分足らずとはいえ予定外だった原爆資料館への訪問も組み込むなど、原爆と広島、長崎に対する理解を深めたいとする思いが伝わってきたのが印象深い。当然、自らの手で花を手向けた碑文に関する説明も受けていることだろう。

 確かにオバマ大統領の演説の中に、謝罪の言葉はなかった。だが、まさにこの碑文が意味するところを十分に理解した内容だったといえるのではないだろうか。

 科学がしばしば効率的に人を殺す道具として使われることの矛盾を、「私たち人類」は自問しなければならないとオバマ大統領は演説の中で強調した。

 すなわち、演説の主語を碑文の主語と同じく「人類全体」にすることで、「過ちを犯した者」そして「それをもう繰り返さない者」の中には当然、米国人も含まれることを示したといえる。日本が世界で唯一原爆の被害を受けた国であるのと同時に、米国が世界で唯一核兵器を使ってしまった国であること、それを「正しかった」と強弁せざるをえない国となったことに対する反省とも受け止めることができる。そのうえでの核兵器廃絶の誓いだったわけだ。

 当の被爆者を含め、日本では今回のオバマ演説の評価が高く、「事実上の謝罪」とまで捉える向きが多いのは、そうした含意を感じ取ってのことと考えられるのである。

 原爆慰霊碑の文章をめぐる論争も、これを機に終わりを迎えるのではないか。そう思わせる17分間だった。

(ダイヤモンド・オンライン編集長 深澤 献)