連載も10回目で最終回である。最後は本に書き込む読書術を古今の読書人から教えてもらおう。本を読みながら下線を引き、メモを書き込んでいくのは電車の中でもトイレでも、どこでもできる効率的な読書法である。読書人の多くは共通してこの方法を採っていると思われる。このとき、本はノートに変貌する(文中敬称略)。

鉛筆や消せるペンは
読書の際に不可欠

 ななめ読みを許さない人はけっこう多い。私は推奨するが、トレーニングは必要だ。速読術を覚えればいいのだが自己流でもかまわないと思う。10年ほど前、「速読術」のハウツー書を読み、1週間練習したことがある。要するに上から下への眼球運動の訓練だ。いっぺんに2、3行ずつ読めるようにはなる。

 秒単位で読むというか、画像として脳にたたき込んでいく。漫画を読み慣れていれば、すぐにできるはずだ。しかし、非常に疲れる。あまり重要でない箇所も重要な部分も等しく頭に入ってくるから疲れるのだろう。

 上から下へだけではなく、もっと自由に眼球を動かすほうが自分には合っている。私自身は漫画を読むように本も読んでいると思うが、具体的な説明は難しい。いずれにせよ、自分に合った方法でななめ読みの技術を磨くしかない。

梅棹忠夫『知的生産の技術』(岩波新書、1969年)

 梅棹忠夫(民族学者1920-2010)は『知的生産の技術』(岩波新書、1969年)によって現在でも名高い存在だ。本書で「読書」について1章を割いている。

 梅棹はななめ読みを許さない。ななめ読みでは本を読んだことにならないという。私とは正反対の見解だが、彼も本に書き込むことは勧めている。

「わたしは、2Bの鉛筆で、かなりふとい線を、くろぐろと入れる。電車のなかでもどこでも、やわらかい鉛筆はつかいやすいし、こい線の色は、あとからさがすのに便利だからである。(略)線のほかに、欄外にちょっとしたメモや、見だし、感想などをかきいれるのもいいだろう。その場合も、けっきょく鉛筆がいちばんいい。(略)鉛筆というものは、読書のための不可欠の道具かもしれない」(梅棹忠夫、前掲書)。

 私は鉛筆ではなく、消すことのできるボールペン「フリクション・ボール」を使う。梅棹は本に書き込んでから、再読後にノートをつける。梅棹の「ノート」とはカードのことで、これが有名な「京大式カード」である。

 梅棹忠夫のような洗練された読書術ならば、どんなに主題から横へそれ、回り道してもカードを整理すればもどることができるだろう。ずぼらな私にはムリ。カードに記録していく精密さはない。