ドイツ人妻を亡くした音楽評論家を救ったバッハとソーセージイラスト/びごーじょうじ

「戦後日本の音楽は吉田秀和の作品である」と丸谷才一は言った。東京・日本橋で生まれ、幼い頃から西洋音楽に親しんで育った吉田秀和。伊藤整に英語を、中原中也からはフランス語を習い、小林秀雄とも親しかった。戦後、音楽評論の道に進み、指揮者の齋藤秀雄らと創設に関わった「子供のための音楽教室」は、指揮者の小澤征爾、ピアニストの中村紘子、チェリストの堤剛などを育て、後の桐朋学園音楽部門の母体となる。

 吉田の功績を語る上で欠かせないのは気品溢れる文章である。音楽という言葉にならないものを見事に表した文章は日本語表現の一つの理想、といっていい。その評論領域は音楽だけにとどまらず美術や相撲にまで及んだ。

 NHK制作の『言葉で奏でる音楽~吉田秀和の軌跡~』という番組に吉田の日常が垣間見える。

「午前、6時起床。4年前に妻を亡くし、現在1人暮らしの吉田さんの1日は朝食作りから始まります。3分半ゆでた半熟卵に紅茶、ドイツパン、コーンフレーク、ヨーグルト。メニューはここ何十年変わっていません」

「ソーセージなどの肉類は毎日のように食卓に並びます」

 というナレーションと共に紹介される食卓にはドイツ人だった妻バーバラの影響がある。