とろけるような笑顔の井上陽水から、「携帯電話の待ち受け画面を孫娘の写真にしてるんだ」と言われたのは、彼が還暦を迎えるより前のことだったように思う。

「オレはいままで女をこんなに愛したことはない」などと続けるので、陽水のファンは印象が違ってガッカリするのではないかと忠告したが、まったく受け入れる様子はなかった。

得意手以外で女性にもてたい

 私が3歳下のこの「ミリオンセラーの人」と会うキッカケをつくったのは、フォーク村の村長さんの異名をもつミュージシャンの小室等と、私の高校時代からの友人で伝説のベルウッド・レコードのディレクターだった三浦光紀である。

 もう大分前のことになるが、長良川河口堰の現地で開かれた反対集会で、私は初めて小室と会った。それで「小室さんのことは三浦からいろいろ聞いてます」と言ったのだが、それに小室はビックリしたらしい。一見、「軟派」の三浦と、ガチガチの「硬派」と思われている私とが、どう考えても結びつかなかったとか。

 翌朝、小室は驚きのままに三浦に電話をする。そして、3人で食事をした。それを聞いた陽水が、どうして自分を誘ってくれなかったのか、と小室を詰(なじ)ったという。なぜか、私に興味を持っていてくれたのだ。そんな経緯があって、4人で会い、盛り上がった。

 そして私は『サンサーラ』の1996年12月号で、陽水と対談することになる。私がホストの連載の相手に彼を頼んだのである。

 終わった後、彼はしきりに「言わされてしまった」と繰り返していたが、得意手以外でもてたいという話を引き出したのは、私の“功績”かもしれない。

「身近に聞くと、声だけで土俵際までバッと持っていく力がありますね(笑)」と言ったら、彼は「ときどきそういうようにおっしゃる方がいらっしゃるんですよ。でも、それは禁じ手ですから、喋らないようにしています」と答えた。