「無印良品」ブランドを再生し、良品計画を屈指の成長企業へと転換させた松井忠三・名誉顧問。再生の苦労や日本の小売業の将来などについて考えを聞いた。(聞き手/深澤 献『ダイヤモンド・オンライン』編集長)

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人は二度失敗して初めて現実に気がつく

――2001年、業績が急降下するなかで社長に緊急就任しました。なんらかの勝算はあったのですか。

松井 前任の社長が辞めたとき、私はネットビジネスなどの新規事業担当の専務で、本流から離れていました。社長就任の辞令が出たのも営業の本流から外れていたからこそだったのかもしれません。そんな状況ですから「社長になったら、こんな風に改革しよう」という青写真もありませんでした。

 当時、小売業界のトップアナリストから「松井さん、日本の専門店で一度凋落して復活した例はないですよ、まあ頑張ってください」と言われた話は書きましたよね。とにもかくにも1年目は出血を止める作業に専念しました。国内外の不採算店舗を閉鎖し、売り場面積を縮小し、在庫も処分した。

 新潟県長岡市にある物流センターの倉庫には原価で38億円、売価で100億円分の在庫が山になっており、そのすべてを焼却処分することにしました。焼却のときは、商品を企画したマーチャンダイザーも同行させ、一度もお客さまの手に触れることのなかった商品が灰になっていく現実に向き合いました。マーチャンダイザーには本当に辛い経験です。

 ところが半年も経つと、また在庫がたまり始めているのです。なぜか。マーチャンダイザーが欠品を恐れて100の商品を売るために150の商品を作っていたからです。しかも当時の衣料品の売上高は前年比の66%。つまり作った商品の半分が売れ残るのです。

 これもすぐに処分しましたが、そのときに、「一度の失敗では学ばない。二度失敗して初めて現実に気づいてくれる」とつくづく思いました。本当の意味で改革がスタートしたのは、ここからでしたね。

――今回の連載でも仕組みの大切さ、しかも自ら進化する機構を備えた仕組みの重要性を強調されていました。

松井 すでに書きましたが、良品計画の業績が悪くなり、「無印良品」の商品開発力とブランド力も低下した直接の理由は6つほどに集約できます。そして「真因」とも言えるセゾンの文化を改めることにも挑戦しました。

 結局は、「仕組み」が会社の大きな力になるのです。仕組みを自ら変え、変えたならば絶対に実行する。そうした努力から社風が醸成されます。事業や経営は、トライアンドエラーの繰り返しです。事業を取り巻く環境も一日として同じではありません。

 ただ、「仕組みを変える力」と変化や進化を厭わない社風があれば大きくズレることはないのです。商品開発も業務遂行もすべてに仕組みが確立され、社風になっていることが大事なのだと思います。

――松井さんの著書に『無印良品は、仕組みが9割』というタイトルのものがあります。では、残りの1割とは何でしょうか。

松井 タイトルは私でなく編集長が付けたものなんですけど、講演などでも同じ質問をよくされますね(笑)。「残りの1割の部分に何か大事な意味があるわけではなくて、仕組みが9割という形でオペレーションするのが大事なのです」とお答えしています。

 私と正反対なのが、レストラン「俺のフレンチ」などを展開している俺の株式会社の坂本孝社長で、「俺の株式会社は仕組みが1割だ」と言います。類い希なリーダー力によって1割でもやれるのですが、問題は、そのリーダーがいなくなったときです。創業者や中興の祖がいなくなったとき、“人的リスク”が大きくなる。

 私の場合は、業務マニュアル『MUJIGRAM』をつくり、いつまでに仕事を完結させるかでは「デッドライン」を決め、それを支援するシステムや自動発注システムもつくりました。商品開発は「WORLD MUJI」や「FOUND MUJI」の枠組みをつくり、こうした仕組みをベースにしてオペレーションしました。すると、仕組みでは解決しにくい個人の頑張りとか能力の問題が見えきた。見えてきたものをまた仕組みに織り込むようにする。その積み重ねです。

 仕組みに落とし込むことで、人的リスクが低くなります。同じ山に登るのでも、獣道ではなく登山道を登り、天候チェックや健康チェックを怠らなければ誰もが登頂できる確率が上がります。