仏教の力を巧みに利用する中国
センゲ氏はこれまでに僧、尼僧3万人、一般のチベット人も合わせると9万人が中国に戻ったと語る。だが、このことを国際社会に発信して中国共産党が知れば、ただでさえ苛酷なチベット人の状況はさらに悪化するのではないか。私の懸念に氏はこう応じた。
「すでに漢民族・共産党政権はこれ以上ないほどの非人間的な弾圧をしています。あらゆる手段で彼らは私たちを苦しめ、死に追い込んでいます。それでも私たちは平和的反撃を続けています。チベット人は絶対に諦めません」
北京五輪の開かれた2008(平成20)年、チベット全土で若者たちが一斉に抗議運動に立ち上がった。それから足かけ9年、彼らは想像を絶する弾圧に耐え、諦めることなく今日も闘い続けている。
「チベットの若者の精神的基盤はしっかりしています。立派な若者が多く育っています。チベット仏教の歴史は2500年、中国共産党はわずか100年です。私たちはこれからさらに2500年続き、必ず共産党に勝利します」
チベット人がチベット人として生きることのできる日が来るまでチベットを応援したいと私は切望する。その一方、中国共産党を侮ってはならないとも実感する。中国は仏教の力を十分に理解し、どの国よりも巧みに政治利用してきた。センゲ氏の警告である。
「中国は『世界仏教徒連盟』(The World Fellowship of Buddhists)を、長年中国の影響力増大に利用してきました。有力な僧たちを中国に招き、歓待し、親中派に育てるのです。僧たちは母国でいざというときに影響力を発揮します。そのような国が約50もあります」
国内では仏教徒のチベット人を殺害し、弾圧しながら、海外の仏教徒を歓待して手なずける。道義的には最低だが、政治戦略としての効果は絶大だ。仏教国のインドや日本が仏教の力にあまり刮目しない中で、宗教を認めない共産主義の中国が仏教の利用に余念がない。
センゲ氏の問題提起もあり、日印両国もようやく3年前から「国際仏教会議」を開催するようになった。仏教再興を目指し、仏教圏諸国の関係を深める試みを始めたのである。どちらが真の仏教信奉国か、仏教を真に人類の幸福につなげることのできるのは中国共産党か、日印両国か、私たちは明確に示さなければならない。日本はこうした試みに、そしてチベットに、資金援助を含めて最大限の支援をするのがよい。
それにしても中国は優れた戦略観を持ちながら、その能力を共産党の幸福のためだけに使うのである。惜しいことだと思う。
(『週刊ダイヤモンド』2016年1月23日号の記事に加筆)